雨の中を泳ぐ日々

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傍観者なのか、当事者なのか? 舞台「終わりのない」の感想

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先日、世田谷パブリックシアターで劇団イキウメ「終わりのない」を見てきたので、その感想をまとめておきます。

オデュッセイア」をモチーフという形で前川知大さんが作・演出をした作品。イキウメは最近、お気に入りの劇団の一つでもあるのですが、劇団員から女性が全ていなくなって男性5人だけになっていることに驚きました。

さて、今回は客演に山田裕貴さん、奈緒さん、清水葉月さん、村岡希美さん、仲村トオルさんを迎えて上演されています。

山田裕貴さん演じる主人公ユーリが、意識だけがいろいろな時代のいろいろな人物に移り変わるということを繰り返していきながら、人類の未来を見つめ、そして今、何をするべきなのか?を考えるという作品。ストーリーの展開は明快ですが、その根底には量子物理学をもとにした「世界の多様性」を扱っています。途中、村岡希美さんが演じる物理学者(ユーリの母)が量子物理学について説明しますが、世界はその瞬間の枝分かれからの平行世界でもあるし、同時に観察によって一つの世界にもなるっていう考え方が、量子物理学のベースでもあるわけです。その世界の多様性から見た未来の人類がどうなっているか?という部分をユーリがいろいろな世界でみたこと、体験したことを記憶として持ち、そして自分が持つべき目的を考えていくという筋書きは、普段のイキウメのドライな感じとは違って、不安を残しつつも強い希望を込めた作品になっていました。

さてまず量子物理学から考えられる多元宇宙というか、そういう世界の中で人類が自らの地球に住めなくなり、次なる星をめざして航行しているという設定は、ありきたりでありながらも、ストーリーの中では現在との対比という部分で上手いバランスだったと思います。そこにユーリの記憶が入り込み、その世界でのユーリをクローンとして再生した際に現代のユーリが意識を持って活動し、そして失敗作として処分される。そういうドライさも前川さんらしい感じです。

ユーリがいろいろな世界で体験する出来事が、その時代・環境での人にとって、必ずしもグッドエンドとは限らず、ハッピーエンドと思わせたものは疑似体験の産物であったりと、ifとrealが入り混じった感じで話が進んでいきます。このあたり、今回の前川さんの作りはいつもより優しいというか、前述した量子物理学の説明といい、親切な印象を受けました。以前「プレイヤー」のときは、後半いきなり落語の話から入るとか、結構直球で来る感じだったので。

俳優さんに関しては、ほぼ出ずっぱりの山田裕貴さんはよく演じたと思います。セリフ量もそうですが、時代も違う、立場も違うが意識は同じという部分での戸惑いや、あがき、諦めのようなものをうまく演じていたと思います。若いからこそ出せる勢いというか、そういう未熟さがうまく配役にあっていた感じです。もちろん演劇としての技術部分では、発声とか所作にまだ粗さもありますが、主演としての立場を全うしていたと思います。

奈緒さんは、可愛らしい感じが上手く引き出せていて、舞台というフォーマットでの存在感を十分に感じることができました。今後が楽しみだなと思います。他の俳優さんは言わずもがな、個人的なファンである清水葉月さんが相変わらずの存在感で嬉しいです。

 

さて、、、個人的な思いを少し。

今回の作品、前川さんが伝えたいメッセージという部分が、非常に強く出ていた気がします。環境破壊、人間の愚行、将来への悲観、などなど基本そういった暗い未来を思いつつ、ユーリに足掻や苦しみを代弁させている感じ。多元宇宙というフォーマットを用いて、どの世界もバッドエンドに近い状況というか、悲観的な世界への行く末を見せることに、くどさは少し感じました。ハッピーエンドであれとは言わないです。今の人間の行いが少なくとも明るい方向性につながっているとは言い難い部分を否定する気もないので。演劇として見せる世界で、そのバッドエンドに近い状況につながる時間軸以外のものと対比しても良かったのでは?と思います。傍観者としてのユーリは結局、傍観者でしかなく、彼がいくら意識を戻しても結局は大勢への変化はない。そこも無力感という意味の演出なのかもしれませんが、だとしたら多元宇宙を扱う理由はなく、単に一つの未来でも良かった気がします。それとも前川さんはどの未来も、どの選択もバッドエンドと思っているのかな?

量子物理学の世界が、個人的にはうまくハマった感じがしなくて、それがダンへのエピソードにつながっていくにせよ、そこだけになるのはちょっともったいないというか、なんというか。ユーリの意識がいろいろな世界へ行くのに、ユーリは単に帰りたいだけなのか、それともその旅を通じて目覚めたものが最後のセリフに集約されるのか?と言うときに、その設定を活かせた感じがあまり残らない上に、親切にしている演出が、何というかイキウメっぽくないと感じた部分が強かったです。

前作で見た「獣の柱」、悲観的な未来の中に新しい人類の世界が垣間見えるというエンディングで、決して明るい終わり方と言い切れるわけではないですが、ストーリーとしてうまくまとまっていた感じがします。その作品との対比といえるのかもしれませんが、だとしたら、ユーリの絶望で終わるほうが良かったのではないかと思ったりもします。

そこもあくまで意識を飛ばしている傍観者なのかもしれませんが。

傍観者は実際は一番しんどいということもありますね。当事者でないことは、どんな結末でも受け入れる以外の手立てを持たないとも言える。ユーリは若さ故に戻りたいという気持ちと、同時に違う世界で村の人を救ったことができたときに当事者ともなり得た。そこで彼が得たものが何か?というと無力感という気もしますが。

 

追記

ある方からのTwitter での指摘で、ユーリは経験したことから自分を取り戻したという話があり、おっしゃるとおりということでもあるんだけど、ユーリ個人の見出したものから、積み上げていくものが、個人的には今ひとつ明るい希望の様に思えなかったというところです。

少なくとも前川さんの描いた世界での希望は個人の自覚というか、叡智の積み重ねというのであれば、その世界との対比であってもいいかなというのが個人的な感想です。

だから最後のユーリの叫びは、自覚でもあるけど、同時に個人の限界にも思えて、それはダンが自覚的に統制から外れて行動する希望と同時に、排除でしかないという部分も含めて。

 

 

というところで。

次は「ドクター・ホフマンのサナトリウム」について、何処かでまとめたいという世界と、いつできるかな?という世界が平行しています。