雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

舞台「アジアの女」の感想


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先日、渋谷シアターコクーンにて「アジアの女」を見てきました。

コクーンシートを取ったことで、見えにくい・しんどい思いをしたことは、以前のエントリーに書きましたが、それはそれとして、、、今回は作品の感想をまとめておこうと思います。

あらすじは、

ある被災地(大地震が原因)において、侵入禁止区域にある自宅で今でも住んでいる兄妹。その自宅は一階が震災で押しつぶされている。兄妹の父がその一階に取り残されたまま(実際はすでに死んでいる)。妹はその一階にいるネズミを父と思い、配給で渡される少ない食料を分け与えている。妹は心を病んでおり、兄はその妹の面倒を見るために一緒に暮らしている。

そこにやってきた一人の中年男性。彼は作家で、被災地に住む兄は、その作家の担当編集者。かつて作家は、その担当編集に煽られて、一遍の面白くない小説を雑誌に寄稿、そして酷評された経験がある。作家はそのまま書けなくなり、無為に時間を過ごしていた。編集者は作家の父からお金をもらって、その作家をおだてていた事実があり、そのことを恥じて、編集を辞め、お金を返して、この場所に来た。

被災した家には妹に好意を持っている警官、妹をボランティア(実際は風俗)へと誘う自称ボランティアリーダーが訪れ、兄妹を取り巻く環境が変化していく。そして被災地は徐々に日本人・外国人という人種間での争いが頻繁に起こるようになり、最後に悲劇を迎える。

 

おおよそこんな感じです。脚本を長塚圭史さん、2006年に書いた戯曲で、今回はこの作品を吉田鋼太郎さんが演出しています。妹役に石原さとみ、兄役は山内圭哉、警官が矢本悠馬、ボランティアリーダーが水口早香、そして作家役に吉田鋼太郎という五人のキャスティングです。

前半の軽妙さと重さがバランスが良く、特に吉田鋼太郎さんの作家の才能の無さを感じさせる部分、山内圭哉さんのいらだちなどが前半の流れの中でじわじわと伝わってきます。山内圭哉さんの兄は心を病んだ妹の精神を安定させたい一心、発芽しそうにない土に種子を植えても、ネズミの鳴き声を父の声と思っていても、ひたすら同意する。そして兄自身は酒に溺れ、その生活に逃げ込むことしかできない。

山内さんは個人的には「噂の男」の演技がものすごく印象に残っていて、あのクズっぷり(褒めています)はすごかった。その時からいつも何かに出ているのを見るたびに注目してしまう役者さんです。今回も心の弱さと妹への優しさが同居した演技を見せてくれました。

石原さとみさんは、前回の舞台は映像でしか見ていなくて、今回舞台での彼女を見るのは初。日頃のドラマで見てもいろいろな役柄を演じていますが、今回の舞台での彼女は非常に興味深い。ある意味、菩薩というかマリアというか、性的奉仕をするボランティアということと、激しい愛情をうちに秘め、それが原因でかつて精神崩壊を起こすという過去が危うさを感じさせる演技です。激情的なシーンはほとんどなく、精神崩壊が感じられるのは淡々と過去を語るとき。それだけにその危うさが観客側にじわっときます。ボランティアの意味を本質的に理解しているのかは不明ですが(奉仕をする代わりに、被災地での配給権利を受け取る)、妹の中にはそんなことよりも「私がどうすればいいのか?」という盲目的な生きがいをもつことでバランスを取っている状況が見えてきます。石原さとみさんは、そういう危うい線をどっちにも転がらずに演じているので、そのあたりが流石だなと思わせます。

前半の最後に兄が、父がいると信じ込まれていた一階への穴に飲み込まれるシーン(幻想ですが)、あのあたりは兄の持つ心のバランスの危うさが伺えて、そのまま前半終わりだったので、変な余韻が残ります。それだけに余計に後半での兄は、どういう存在なのか?をなんとなくもやもやしながら見ているので、余計に集中している自分(笑)

後半の作家が少しずつ再生していくシーン、兄も編集者として協力していく場面、妹が新しい生きがいを見つけて、ついに今の家を出ていこうとする、少しだけ希望のように見えるところがありながらも、最後は妹に起こる悲劇に些細なことの積み重ねがあっさりと壊される状況を表していました。平穏な日常を送っていた場所に震災が訪れたのと同じように。

この作品の中で見える人の危うさとか、あさましさとか、純粋さとか、人がどういうものであるか?みたいな部分をたくさん感じることができるのは非常に楽しい。吉田鋼太郎さんの演出がオリジナルとどう違うのか?とかはわからないのですが、石原さとみという俳優を使うことで、この作品での精神の再生と現実の崩壊を戯曲世界で楽しめたと思います。