雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

イキウメ「獣の柱」の感想


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先週、見に行くことができたので感想をまとめておきます。

東京公演は先日、終わったので一応結末まで触れるかと思いますが、ご了承ください。

あらすじとしては、

ある日、隕石の落下が確認された。宇宙から落ちてきた隕石には、人間に幸福感を与える不思議な放射力があり、その隕石を見続けると死ぬまでその隕石を見ることになる。その隕石をめぐって現代において、様々な動きが起こるストーリーと並行して、未来ではその隕石は巨大な柱という形で、地球上に次々と落下し人類をどんどん減少させていく。その隕石に対する人類の絶望と希望がどうなっていくのか?

 

というのが大まかな話です。

まずこのストーリーが面白かった。SFとしていろいろな設定がありますが、こういう切り口は小説的でもあり、その入り口を前川知大さんは見事に演劇というフィールドに落とし込んでいきます。以前観た「プレイヤー」もそうですが、一見不可思議な状況の話が、リアリティを持って動いていくのはすごい力量だなと思います。ディテールをいい加減にしないことが大事だなと。舞台上では未来と現代が何度も場面転換で交錯しますが、わかりにくさはなかったです。

現代社会では、三人の主人公がその脅威に気が付き、柱の脅威をどうにか回避するすべを探していきます。この動きが未来における「柱の影響を感じない世代」への変化につながっていきます。柱が落ち始めた時から、社会機能がほぼ麻痺してしまい、農家の自給自足の動きが人類の生き残るシステムの一つとして機能していく。そのことが脈々とつながっていく流れがストーリー上ではうかがえます。この辺りは、人類の学習と生き残る術という意味では分かりやすいものだったし、納得もしやすい。三人のうち一人は途中、未来に送られてしまい、その未来で次の世代をつなぐ働きをしています。一度、過去に送り返されて、過去の人間に影響を与える動きをして、そのまま眠っています。そして残った二人が結婚し、後世に柱の影響を受けない世代へとつながっていく。

この芝居、正直もう少し悲劇的な終わり方かな?という感じもしたのですが、実際には希望というものが非常に強く印象に残りました。もちろんいいことばかりではなく、実際人類は「数減らし」をされているわけです。柱が宇宙からではなく成層圏あたりからふっと出現したという経緯が語られますが、よくある「地球の意志」としての数減らしという要素が見えてきます。合わせて柱を見続けて死ぬということは、ある種の「安楽死」であると。確かにその通りだと思いながら見ていました。過去から生き残るシステムを構築した二人は老人になった際に、痴呆になった妻を連れて、二人で柱を見つめたまま死ぬという結末を選んでいることが語られます。過去が整理であるなら、未来は再構築です。ただ人類という種がなぜ整理される存在として認知されたのか?という点は、舞台上ではあえて結論を出してはいませんが、そこは日頃の行いから決まってくるものだと思います。この作品はそういった人の存在という部分において、非常に冷静な目で描かれていることが印象的でした。

演劇って面白くて、この舞台は最初に浜田さんが「私は今、あなたの頭に直接語り掛けています」と「セリフを叫び」ます。ちょっと失笑気味な感じではあるんですけど、そこに意味があります。このセリフの空気の瞬間に日常から切り離されます。今年見た中で絶賛した「こそぎ落としの明け暮れ」の最後の崖のシーンあたりと共通点を感じました。ないものをあるといわせるのはむずかしい。でもその世界観に入り込むことができる。結果として未来から送られてきたときに「言葉」を失っていました。この芝居は言葉を中心に語りたいわけではないのでしょうが、コミュニケーションという部分で、何をよりどころにするのか?という意味では興味深かったです。

個人的には希望につながるエンディングと思いましたが、実際に希望なのかは怪しいのかもしれませんね。ストーリーとして書くと、人類への警告とそこからの再生みたいに、聞こえの良さにつながっている気がしますが、実際はそんな単純でなく、人類自体が一枚岩でもないし、未来における人類の動きも世代ギャップ・確執は存在します。柱によって数が減り、文明社会における生活が退化しても、人という生物が抱える社会性の問題は消えることはない。前川さんが描く作品はいろいろな味を感じることになりますが、この「獣の柱」では、人の業みたいなものも色濃く残った部分も見えてきて、いろいろとじわっと受け止められる作品でした。