雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

虚構の劇団「ピルグリム2019」を見る


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先週、新宿のシアターサンモールヘ赴き、鴻上さん主宰の虚構の劇団の公演「ピルグリム2019」を見てきました。

第三舞台のときの記憶はほぼ抜けていました。

見ている間にいろいろなことを思い出しつつ、だんだん芝居に入り込んでいきました。ここではとりあえず見た感想をまとめておきたいと思います。

東京公演は終わっていますが、まだ他の場所の公演もあるので、感想は畳んでおきます。

鴻上さんが公演のときに配る手紙があり、今回は劇団員との飲み会という話があります。第三舞台のときも、そして今の虚構の劇団でも、劇団員とサシで飲む機会はほとんどなかったと。そして飲みに関しては、全体で行くこともあるが、各々の判断に委ねる部分もあると。

そういうコミュニティーにおける個々の関わり方や、その中における人の言葉だったり、そういう人とのつながりをこの戯曲では、連載を打ち切られた作家が書く長編小説と、その作家が作ったコミュニティの挫折をリンクさせて描いていきます。

鴻上さんはSNSにおけるいろいろなつながりや発信に関しては、以前よりもだいぶ慎重にというか、気遣いが増えているなあと。数年前にTwitterで炎上気味になったこともあったと思うので、そのあたりから発信する言葉や内容に関して、すごく選択をしていることがわかります。でもそれは鴻上さんに限らず、芸能人やアーティストさん全般にそういう傾向が強いし、影響力というものへの自覚の強さでもあると思います。

先日終わったドラマ「3年A組」でもそうでしたが、集団におけるスケープゴートであったり、対象という存在に関しては、あらゆる関係性が生まれてもおかしくない中で、やはり批判という要素は人である以上、免れられないところだと思います。

そのコミュニティにいることで、誰がその対象になってしまうのか?じゃあ本当にそういう対象が生まれないコミュニティは確立しうるのか?今回のピルグリムを見て、絶望と希望の両方を鴻上さんなりに描いています。

劇中の作家の描く登場人物は、それぞれ目的とする場所を求めます。その中でユートピアとは、ディストピアとはと役者は叫ぶ。ユートピアとは何を持って理想となすのか?そんな思いが舞台上の演技から客席に送られます。

今のSNSを含めた人の集合体に関しては、演技か取り繕うか、本音を隠したとき以外は理想郷などできはしないと自分は思う側です。でもその時点で真の理想郷でもないわけです。所詮は偽善かもしれません。でもそれが全体に寄与するものなら、それでも良いと考えます。個は全体の一部でもあり、また個は全体のためにいるわけでもない。今のネットワーク社会はその曖昧さが、見えないよなあと思ったり。

 

鴻上さんが、いつもながら絶望過ぎずでも綺麗事すぎず、うまいバランスの中で、今回の作品を作ったと思います。単純にお涙頂戴的な感動にしていないことは良かったです。このタイミングでこの作品を見たことの意義は、すごく感じられます。共同体の維持のために、いろいろなものが犠牲になっていく。黒マントはその犠牲の象徴であり、謎掛けをすることでいろいろなことを理想を探す人に気が付かせていく。それは場合によっては目を背けたくなることもあるかもしれないが、そこから目を背けたときにその世界は偽物になってしまう。人にとってのオアシスとユートピアは似ているようで、実は違う。どこが本当に居たい場所かは、いろいろな痛みを伴いながら知っていく。今回の脚本で、六本木先生は結果的に作品世界での出来事から始まる内省に向かい、そこでの出来事から自身を違う世界へと運んでいった。そういう終わらせ方が鴻上さんらしくていいなあと。実際、いつも通りというか、もともとそういう書き方をされるのですが、変にいじくり回さずに演出していることが良かったです。

Twitterでもつぶやきましたが、最近は割と派手なセット組みの作品をとかを見ることが多かったので、こじんまりとしたああいう箱の舞台を見たのは、とても嬉しかった。しかも最前列だったので、迫力満点。役者さんたちの動きだけでなく、表情、特に目元をじっくり見ることができて、その役における感情の動きを感じることができて良かったです。直太朗役の秋元龍太郎さん、非常に頑張っていた。役として振り切ったという部分と、六本木先生とのつながりという難しさをすごく考えていた。オカマキャラな分、落差を作りやすいが、そこに寄りかかりすぎないっていうのが大事なんだと思います。あとは小野川さん。ツイでも褒めたのですが、長野さんの役どころって難しいと思います。長野さんの舞台上でのキャラの弾け方と、魅せるときの緩急の上手さは見事なので。そういう意味では勢いがすごくついていたけど、でも感情の部分とかきちんと伝わってくる演技だったので、個人的にすごく良かったです。

鴻上さんは、やっぱり劇団というシステムのほうが良いのかなあと。去年「ベター・ハーフ」を見たとき、面白いけどやっぱりどうしても役者の個性の強さで出来上がっている部分も強い。第三舞台がすごく役者と演出家との舞台作品におけるつながりの深さが、完成度に不可欠だったなあと思うだけに。「朝日のような夕日をつれて」みたいな完成度が高い作品だと、あとはきちんとピースをはめるという作業になるのでしょうが。今回、虚構の劇団という場を久々に見て、もちろんまだ粗いところはあるんだけど、一体感のような部分が伝わってきたことが良かったです。

また違う作品でこの劇団を見たいなあと思わせる時間になりました。