雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

自主規制は誰を守る?

本当はひたすら産みの苦しみみたいな感覚を味わいつつ、先日観た虚構の劇団の舞台「ピルグリム2019」の感想をまとめていたのですが、、、、

このエントリーを打つ直前に、ピエール瀧さんが薬物違法所持と使用の罪で逮捕されるというニュースと、それに関わるいろいろなツイがTLに流れてきたことを受けて、ふわっと思ったことを残したくなったので。

まずピエール瀧さんの逮捕、残念以外のナニモノでもないです。Perfume Fes!で見たときの電気グルーヴとしてのパフォーマンスの楽しさもさることながら、多くの映像作品で見せる役者としての顔、演技の面白さ、狂気、かっこよさ、いろいろな部分を見せてくれる素晴らしい存在だと思います。

それだけに今回の逮捕は、そういった素晴らしい人材が表舞台から消えていくことの寂しさと、ピエール瀧さんの残してきたものが消えていく怖さをはらんんでいて、SNSでも多くの方がそのことへの懸念を表しています。

新井浩文さんの逮捕でも同様のことが起こり、ドラマ「今日から俺は!」に出演された部分は円盤化に伴いその部分を撮影し直して販売するという事態になっています。現在どの程度の作品が影響を受けているか?は範囲がわかりませんが公開直前だった映画作品のいくつかは公開延期という憂き目にあっています。

ピエール瀧さんの逮捕を受けて、公開中止延期という措置がどの程度進んでいくのか?は予想も付きませんが、この数年間でかなりの作品に出ていることを考えると、関係各位は頭の痛いところかと思います。

 

そう、、ここが一つのポイントです。

 

なぜ公開延期や中止という措置がスタートするか?

この措置を当然という人からは、よく2つの話が出てきます。一つは社会的影響への配慮、もう一つはそういった作品の公開で利益を犯罪者当人にもたらすリスクという意見です。

前者に関して対応ができないのか?これはおそらく実務的部分でいえば、匿名性の高いクレームへの対処かと推測は容易です。配慮というよりは、そういった人が出ている作品を公開するとは何事か!という直接的なものから、作品の制作に関わったスポンサー企業へのクレームも含めてです。これは会社を守るという意味で手段としてはポピュラーであると同時に、他の出演者、関係者への配慮に乏しく、鍋フタ的な対応の典型だとは思います。

確かにこの対処は、方向性がはっきりしているので、対応する側にとっては動きやすいでしょう。同時に個人的には、これ以上食べたら太るよ?じゃあしばらく絶食します、、、、という極端さを感じるのも事実です。コンテンツとしての素晴らしさは、犯罪を犯した当人の責任とは別という意見もあるし、この犯罪行為から作品の価値全体が否定されるような措置も確かに違うなとは思います。

でも、顔無き苦情が蔓延する状況が予想されて、それでもなお作品の公開に踏み切れるような環境が日本にあるのかは、疑問でしかないです。学校でカッターで鉛筆を削ったら怪我をして、管理責任を学校が問われたので、カッターを持ち込み禁止した例と同じで、本質への対処ができているわけではない。学校教育なら、正しい使い方を教えるという道がありますが、作品の場合はテロップを流すや、先程の撮り直しのような対策くらいしか出てこない。結果として、作品に罪はないが、そのことをきちんと伝え浸透させるには、クレームを上げる人たちに対してのマンパワー、時間が乏しいという現実には勝てない。

後者の利益云々は、契約の見直ししか対策はないのかも。気になるのは、犯罪行為をしたことの償いと、その作品における評価されるべき功績は別物ではないのか?という懸念。犯罪者が出ていた作品は、確かに不快感を与える可能性は否定しない。が、それはホラー映画で不快になることの差との違いが、伝わりにくいのが個人的な感想です。犯罪行為の場合、被害者への配慮も必要です。新井浩文さんの場合は、映像などで彼の顔が出たら云々という指摘も散見し、その意見には頷くところも多いです。

今回は被害者はいない。それだけに映像が出たことでの

二次的な精神的苦痛を受けるという自体は避けられる可能性は高い。もちろん皆無?と聞かれたら個人事情はなにか存在するかもしれませんが。

もし作品の公開によって利益という話が出るのであれば、面倒でも契約に関する見直し条項を作るなり、明記するなり、そういったリスク管理をしていくことがこれからは大事なんでしょう。

よく言われる作品の良さと別という点は、確かにそのとおりなんですが、結局のところ、先に述べたようにその良さを伝えて行くだけの環境があまりにも脆弱です。そして、そういうときに作品に対する敬意みたいなものが日本では弱いのでは?という印象があります。欧米などでは、こういった犯罪行為に対する対処って毅然としている印象が強く、ただし作品に対する措置はだいぶ違うような気がするのは気のせいでしょうか?

個人的には言葉の自主規制などと同様に、姿なきクレームに対する措置が続く限りは、この対応は消えないだろうと思います。誰を守るか?会社を守っている、被害者を守る、分別のつかない子どもたちを社会的影響から守る、、、、いろいろな意見はあるにせよ、実際にその作品に関わった人たちが守るべき相手は、本来そこまで大多数ではなかったはずです。しかし今は少数を守るために、大多数から隠すという手段しか選ばない。

結局のところ、クレームというものが社会の寛容性だし、自己満足な正義感だったりするのかもしれません。SNSでの叩き同様な出来事が、あらゆる場面で起こる今、作品が見られなくなるという事態がなくなればいいなあ、、、、、という願いは今の社会環境では毅然と対応するだけの諸々がなさすぎて、残念だという思いでいっぱいです。

でも、、、やはり作品には罪はないと思います。