雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

KERA・MAP#008「修道女たち」の感想

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先週の金曜日に本多劇場ヘ、KERA・MAPの公演「修道女たち」を見てきました。

最近は本多劇場に行く機会が増えました。下北沢までの回数券がほしいくらい(笑)これからも行くわけですし。定期券の範囲が変わったので、交通費もバカにならないのですよねえ、、、まあ、そこまで遠い遠征ではないので、いいのですが。

この芝居のチケットを確保する時期はちょうど「野田地図」で苦しんでいた時(笑)ケラさんのツイに「こっちの地図は取れるぞ」的なことが書いてあって笑ったのを覚えています。

しかし、作品自体は笑いが盛り込まれつつも、ある種の悲しみを抱かせるラストにつながる作品。毎回のことながら、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの上手さはお芝居を見る側にとっては感謝しかない。

まだ公演中でもあるので、ネタバレ込みで書きますから、畳みつつということでご了承ください。

 

 

冒頭20分間、入場できないとありました。実際通路などを使った演出とあわせて、ある修道院にいる修道女6人の関係性、その修道女達を取り巻く環境が一気に明示されていきます。

ここ、細かいエピソード含めて、それぞれのキャラクターの色であったり、人間関係のバランスだったりを見事に見せていたと思います。同時にこの修道女たちを取り巻く政治的圧力、彼女たちはでもその宗教の世界しか生きることができないという空気も感じ取れて、そこからすでにラストに向けての空気をなんとなく感じてみていました。

犬山イヌコさんと伊勢志摩さんの関係性が、演技も含めて本当に見事で、役者さんってうまいなあと。ああいう感じの上司と部下って必ずあるよなあ、、、と思いながら演技を見ていました。部下も上司に対する侮蔑をどことなく匂わせるが、決めるのはあなたであると、責任を負わせ、かつ権威が相手にあるかのように振る舞う(振る舞うだけですが)。そういう構図をあの会話の中で見事に実感させる。実際、その関係性は最後の瞬間まで変わることがない。この上下関係の逆転は、笑いとしては良いアクセントになっていました。

高橋ひとみさんと伊藤梨沙子さんの親子関係も上手い設定で、後々の特に娘であるシスター・ソラーニに関する宗教観に大きな影響力をもたらすことへの対比が、この序盤でうまく描かれていました。

緒川たまきさんの佇まいはいつもきれいだし、いるだけで十分です、自分には。松永玲子さんも芸達者。

何が面白いって、何かことあるごとに「悔い改めます」っていうんだけど、ホント儀礼的で、全然改める感じがない。そこがすでに「その修道院以外に生きる場所が無くて、そこでのルールに従う」っていう空気を感じ取れること。実際の意図は違うのかもしれないけど、個人的にはそういう風に見て取れた。そして、なぜそこに留まるのか?は政治的迫害と、仲間の大量毒殺という出来事が語られる。改宗するという選択はその悲劇によって打ち消され、残る道がないまま巡礼とバザーに赴くしかない様が描かれて、オープニングが終わっています。

印象的なオープニングの後に、今度は巡礼先の山小屋での出来事に変わり、ストーリーはここで一応の収束まで進むことになります。

若干、心に障害を抱える少女オーネジー役を鈴木杏さんが見事に演じています。彼女は以前見たときは、「足跡姫」での嫌なポジションでしたが、そのときも含めて舞台というフィールドで、本当にのびのびと演じていると思います。舞台映えする顔だったり、声の通り方ってのもあるかと思いますが。今回もちょっと特殊な役ですがうまく見せていると思います。こういう役ってデフォルメしすぎないほうがよくて、そのあたりを演出でも役者でもバランスが良かったです。

もう一人、そのオーネジーを慕う戦争帰りのテオ役を演じる鈴木浩介さん。テレビなどでもよく拝見します。舞台で見たのは、何以来かなあ、、、あとで出てくる戦争における心の闇みたいなものを重すぎずに演じているのが良かったかな。その闇の部分を「当たり前でしょ?」みたいな感じがあって良かった。

この二人の関係性が恋愛でありながら、でもオーネジーにはその思いの部分が明確に認識できていない。彼女にとっては嬉しいという感覚が、恋愛と同時に自分の存在価値を見出す場所という意味での修道院にもあり、同時にそこでのシスター・ニンニとの交流(恋愛)も大事なものになっている。

このあたりの人間模様が結末にもつながっていきますが、特にオーネジーの存在は、今回の登場人物にとって、どういう位置づけになっているか?というのも大きなポイント。

オーネジーの無垢さは、テオやニンニにとって変えがたい貴重なものになっています。両者とも恋愛感情を持っていますから、余計にだと思いますが。その無垢さを手元において大事にしたい、あるいは守りたいという意識が強く働いていることがよくわかリます。

そういう意味では、オーネジーの純粋さが、結果としてテオの戦地での行動や、オーネジー自身の最後の決断につながったりと、悲劇的な結末に繋がりつつ、彼女自身は幸せになったのかな?という想いも抱かせるものになっていました。

面白いのはみのすけさんの役。全くの傍観者というか、王様にも修道女にも思い入れがあまりないから、適当なことをいうか、仕事を進めるというスタンスのみ。だからこそ、修道女の状況に対する感情もないというのが、大事なところ。観客側が俯瞰的に舞台上の出来事を捉えることができていたと思います。

この山小屋での出来事はアニドーラの死神とのやり取りだったり、保安官とのやり取りで、結果安息の地がどこにもないということを示すことになります。面白いのは親子関係が破綻しかけていたソラーニとダルのところ。ダルの動きは結果としてすべてソラーニへの愛情という形で示されます。そのことに対して最初は反発し続けるソラーニが、自分の行為による母の顔の火傷をきっかけに、とにかく母の治癒のために神に祈り、そしてその願いが届くという奇跡が起こる。この流れは非常に面白く神の存在云々というよりは神が何をさせようとしているか?にも繋がり、後半への興味を抱かせました。

テオはオーネジーの好きな修道女たちを守るために、殺人をも厭わなくなります。オーネジー自身は、邪魔なものがなくなればいいと叫ぶが、その意味が本質的にはわかっていない。そして修道女たちは自分たちの身に降りかかる出来事からある決断を迫られていくことになります。

最終的に巡礼地の村の人たちは、宗教的迫害により、村を焼かれるという悲運にあうことになります。そしてそれを防ぐために修道女たちを殺すという選択を迫られる。

修道女たちは、自分たちの存在によって村がなくなるという事実を知り、そして差し入れのパンに毒が入っていたこと、さらに差し入れのワインにも、、、という状況から神からの試練を受けることになります。

そう、まさに信じる神からの試練でした。自ら信じる神によって、自己犠牲を伴う選択をするか、生きて祈り続け、その生きる意味を探し続けるか。最後の場面は人を信じるか否かというよりは、その選択がもたらす結論を受け入れるか否かだったと思います。そして修道女たちはその選択を受け入れる。受け入れるきっかけを作ったのが、シスター・ノイだったのは象徴的です。それは実力者という部分もありますが、彼女が、一番現実的であったからです。だからこそ記念写真の費用に拘り、献金の交渉をする。そのノイが毒入りかもしれないワインを飲むことの意味が、非常に面白かった。もう疲れていたとか、いろいろとあるのかもしれませんが、仲間が殺され、そして自分が生き残った意味をもう一度確かめたいという思いもあったのかとか、神の存在を身近に確かめる行為だったのか、、いずれであれ、そこにあった神の試練を受け入れたことが自分の中で面白いと強く感じたところ。

他の修道女たちは、受け入れる道しかなかった。結局、信じる以外に道はない。その先にあるものは、いずれにせよ茨しかないことはわかっていたので。

最後、修道女たちが信じる神の動かす電車に乗り召されるところが救いだったと思います。そしてオーネジーも自らニンニとの道を選び、電車に乗る。彼女たちは信じ切ったし、そして神の試練を越えたのだと思います。

そして虫に刺され、孤独に巣食ったことで木にされてしまうテオは残されます。現世で生きることが、つまり生きていくことがテオの持つ現実であり、彼はそのために仲間を殺して帰って来ていますが、オーネジーはその現実ではなく、神の世界を選んでいく。

個人的には非常に興味深い終わり方だったし、悲劇的な終わり方に見せて実は悲劇ではないんだろうな、という思いを抱かせる上手さを堪能できた三時間弱のお芝居でした。

 

今年はいい作品を見る機会が多くてありがたいことです。