雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

雑記 3月23日 ドラマとか「みなおか」終了とか

今日は、半休なので、あとで見に行く三谷幸喜さんのお芝居「江戸は燃えているか」を楽しみにしているところです。

「99.9」「アンナチュラル」の感想で、すさまじいPVになっていて、うれしい限りです。承認欲求ではありませんが、やはり人に読んでいただくのはうれしい話です。

今クールは「99.9」「アンナチュラル」「BG」「リピート」「ファイナルカット」の五作品を見ていました。「anone」は第一話を逃したので、その流れから乗り遅れた(笑)。録画してありますが、見る暇がなさそうです。次が始まるでしょうから。

さて「アンナチュラル」についてまず少し。

最終回の件で気になることについては、以前ブログに書きました。是非はともかくドラマとしては必要な演出だったのでしょうし、その部分を差し引いても、よくできた作品だったと思います。恋愛要素をミコトの結婚破談から消したこともプラスでしたね。ドラマとしての視聴者のストーリーへの興味関心を各回の「不自然な死の真実」と「中堂の追いかける真相」の二つにきちんと絞ることができた。そのうえで「不自然な死」への距離感をきちんと「法医学者としての真相究明」という部分から基本逸脱していなかったことが、非常に良い。誰一人として「推理」ではなく「科学的分析に基づいた真実への推論」という設定をきちんと守ったことがよい。その真相の究明が「法医学者の矜持」であることは、ミコトをはじめとするUDIで働くスタッフを描く大きな柱になっていました。

個人的には第二話の冷凍車が池に落とされた話から、普通じゃないなあ、、という良い意味での裏切りを感じました。医学と犯罪の融合というか境目というか、そういうエンタメとしてのボーダーをUDIという架空の場所が設定されることで、うまく越えられましたね。裁判にしても、ラストのビル火災、連続殺人犯にしても時間の中に持ってくるストーリーと情報の密度がすごい。ご都合主義にみせないのはやっぱり「法医学」という武器できちんと「検証」している裏付けが視聴者にきちんと伝わっている。それだけに初回の毒を扱う話がきちんとできていて、脚本の野木さんのうまさを感じます。

もったいないのはやっぱり第5話の恋人が水死体で見つかって、解剖を依頼に来る恋人の話、最終話の二回だけが、ミコトのスタンスが揺れた部分かと。この二つだけは、法医学者ではなく、人としてのスタンスが強く出ているので、ドラマとしての共感性を優先したかなとは思っています。でも第5話はあの包丁を振り下ろした瞬間の映像にぞくっとしたけど。あれが法医学や人を想う心を憎しみと喪失が上回る瞬間という場面で、すごく好きです。きれいごとにしないことは大事でした。

もう一方の「99.9」は年始にやっていた再放送のシーズンⅠをちょくちょく見ています。第一話の赤井英和の冤罪の話は、改めてみても「犯人と実証される証言や証拠の真実性」という部分に関して描くというスタンス、そこはシーズンⅡの最終回とやっぱり変わっていなかった。ドラマの性質上、立件する検察側のいい加減な空気はやむを得ないけど、そこを差し引いてもやっぱりそれぞれのキャラクターがきちんとピースとしてはまっているドラマだったなと。主人公、同僚、主人公の鼻持ちならないが有能?な上司、見守る管理職、ゆかいな仲間、シーズンⅠではライバルの検察官、巨大な敵などなど、事件を扱うドラマとしての王道そのものですね。ストーリーも「アンナチュラル」同様に各回の弁護と、シーズンⅠでは深山の過去、シーズンⅡでは検察・裁判官の共闘に向き合うというテーマをうまく並行に進めています。

これってドラマの構造の基本ですよね。各話での決着をつけることでの満足度と、興味関心を引っ張る部分と二本立て。今回、評判がよかった「アンナチュラル」も「99.9」もその部分がきちんと練られているのが大きい。「BG」もその要素がありましたが、謎ではなく過去の出来事に過ぎないので、最終回まで引っ張れない弱さ。「ファイナルカット」はいろいろとムチャな設定にしすぎましたね、特に真犯人の両親が、親の愛情越えておかしすぎましたし(笑)

「99.9」はもちろん嵐ファン、松本潤さんファンという根本はあるにせよ、そういう部分を差し引いても、そういう王道フォーマット踏まえた作りがきちんとしていたのが、楽しさだったと思います。で、そういう作りができない現状をどうするか?だと思うのです。例えばフジテレビ月9が不振とかって、そりゃあそうだよと。見たいコンテンツとして、漫画などの原作モノか、かつての良作の続編かのどっちか。続編でもいいものはたくさんあるので、別に焼き直しも悪いわけではない。目新しさを出すために違う脚本家にすることも、全部悪いわけでもない。でもなぜ数字が取れない作品が多いのか?事務所の都合と配役ありきで原作を改変・改悪を繰り返す。大人の事情を優先させて、視聴者があまり好まない状況を特に原作モノでやるから、反撥を食らう。この繰り返しをしてきて、視聴者が付いてくるって特にキャストなどに頼ってきた部分が大きいと思います。忖度してほしい部分を作り手が多く出して、「仕方ないじゃん」っていう作り方したら、面白い作品になるのか大きな疑問です。

昨日で「とんねるずのみなさんのおかげでした」が終了しました。ひっそりかどうかはわかりませんが、特番になるわけでもなく、通常の枠で。数字を取りにくいという現状もあるでしょう、いまさら仮面ノリダーでもなかったかもしれませんし。食わず嫌いも使い過ぎ、細かすぎて伝わらないモノマネもすでに終わりにしてました。Twitterでもつぶやきましたが、とんねるずは同世代から下を相手に、体育会のノリを持ち込んだなかに、あまりひねるとかでなく、ストレートにいじったり、馬鹿をやる楽しさで面白かったわけですが、それが高齢になれば当然ついてこれない部分や、時代とのずれなんてのも普通に出てくる。「たのしくない」の根底はそういった時代とのずれを認識しつつも、延命だけ図ろうとした作り手の責任かなと。とんねるず自体は正直、自身のカラーみたいなものを意図してプロデュースしてきたわけでもなく、あえていえば秋元康との遊びや、そのあとのフジテレビの持つ時代感みたいなものにうまくアジャストしてきたと思っています。だからフジテレビの企画力が落ちれば、それは同じくそういうものに乗ってきたとんねるずにものしかかるし、数字が取れなくて同じコンテンツを消費するだけになっていくのは、仕方なかった。

ただ、きちんと辞めるっていう決断ができたことは、とんねるずにとってはよかったと思います。それぞれの個人の活動の中で個々の持っている別のスキルが出てくればいい。もっともどういうスキルがあるのかは未知数ですが。石橋貴明トークとかうまいときも多いので、そういう部分を活かしていけばいいし。ノリさんは役者なのかな。漫才などの芸人とは違うってのはあるでしょうし、その方向性を目指す理由もないので。

なんとなくまとまっていませんが、自分の中でも固まった話でもないので、こんな感じです。