雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

舞台「散歩する侵略者」 11月4日(土)ソワレ

昼間、ラグビーを見終わってその流れで、そのまま三軒茶屋へ。

シアタートラムは、いつ以来だろう、、、あのくらいの箱の大きさは非常に好きです、東京芸術劇場のシアターイースト、ウエストもいい大きさ。表情がよい感じでうかがえます。

見たのは、劇団イキウメの「散歩する侵略者」です。以前、映画を見ましたが、もともとはこの作品を舞台で見たかったので、非常に楽しみにしていました。正直、映画は厳しかったので。

作・演出の前川知大さんの作品は夏に「プレイヤー」をみたので、どういう作風なのかはうかがえていましたが、この「散歩する侵略者」がどういう作られ方をしているのかは、映画と舞台というフォーマットの違い以上にいろいろと見比べてみたかったです。

で、実際の作品ですが、思った以上にさらっとえがいているなと思いました。もう少し、恐怖感というか、「プレイヤー」の時のような実体のない怖さみたいなものが、ぐっとくるのかと思っていましたが、主人公の宇宙人である「加瀬真治」を若干コミカルにというか、感覚のずれそのままを宇宙人として認識させる演出だったので。ある種のカルチャーショックの状態を見せることが、コミカルさに見えましたし、そういう演出に演じられた浜田信也さんが非常にうまかったと思います。

合わせて加瀬鳴海さんを演じられた内田慈さんは、真治への感情の変化がうまく感じ取れました。映画版のほうがその振れ幅が大きいのかもしれませんが、舞台版では破綻した状態からの会話が進むにつれて、宇宙人である真治を受け入れていく変化が、女性らしい納得の仕方として演じられていたと思います。なんというか、合理的じゃなく、感覚的に受け止めるという点で。

映画版が若干、宇宙人の奔放さによる怖さを出すことで異質感を演出していましたが、今回は天野真役の大窪人衛さんと、立花あきら役の天野はなさんが、無邪気な感じと精神的な未成熟さを見せることで、緊迫感がうまく出たのかなと思います。特に大窪さんは非常に良かった。声が高いので耳に非常に残るうえに、あの目線での人への追い詰め方が、概念を奪われるシーンでの印象を強く残したと思います。このあたりは映画とはフォーマットが違う分、舞台のほうが奪う行為に対する印象が強く残りました。映画版はこの辺りを逆に俯瞰で淡々とえがくことで、奪われる前との落差を描こうとしたのかもしれませんが。

映画版以上に存在感を高めている丸尾清一の存在が、どういう位置づけなのか?が気になりました。映画版では所有という概念をなくすことで、戦争や体制への反対運動をする人になりますが、実は映画ではそれ以上の位置づけが感じにくい。つまり概念を失った一人のその後でしかない。今回の舞台では森下創さんが強い印象を残してると思います。映画版以上に所有を失うことで、社会が今度どうあるべきか?という一つのメッセージ性を強めたキャラクターになっていて、ラストシーンでの丸尾の使われ方を見ても、所有という概念による社会や国という枠組みでのしばりみたいなものに、とらわれすぎないという意図が垣間見えます。

それが一つの前川知大さんのメッセージなのか、単に演出上の手法に過ぎないのかはわかりませんが、そういう気持ちを感じ取った気がします。

戦争が起こるかもしれないとか、この街における緊張感みたいなものは、実感させるには舞台という手法での限界もあり、この辺りはどう見せればいいのかは難しいですね。役者内のセリフで保管していくしかないのですが、想像力としてその緊張感を観客に残せたかどうかは、自分はちょっと微妙だったかなと。

映画版を見たときに、実際小さな町のスケールで見せるほうが、急に風呂敷広げた感じにするよりは良いかなと思いましたが、舞台版を見てそれは間違っていなかったなとは思いました。小さな町で起こった変化のほうが変化に対する怖さがリアルになる。特に鳴海の姉である明日美が家族(親兄弟)の概念が抜けた後の変化が、非常にうまく演じられていて、そういう怖さが見ている人に伝わればよい作品かなと思っていたので。特に寝ている親を無理やり起こして、布団からたたき出すといったエピソードが盛り込まれる辺りは、かなりリアルさがあったと思います。

映画版と大きく違ったジャーナリスト桜井の様子。個人的にはこの舞台版が普通ではあると思います。興味本位から始まった天野真の同行から、概念の喪失を間近に見ることで、自分がどうふるまうべきか決定する。映画版はこの現状に危機感を持たない人間に嫌気がさしたのか、次に宇宙人に体を支配されることを自ら望み、結果侵略を許す立場になって死んでいく。舞台版は人間としての正義感と概念の変化を求めて、丸尾とともに動こうとしていく。まあ、後者のほうが行動原理が理解しやすいということだけかもしれませんが。

最後の加瀬真治が鳴海から「愛」という概念を奪うことで、「侵略するかわからない」という結末ですが、その愛情が結果として誰に向けられているものなのか?というところがポイントなのかもしれません。そして、天野・立花の二人がそれを共有したときにどうなのか?は描かれていないのでわかりませんが、そこがあるとこの作品の面白さがさらに広がりそうな気がします。宇宙人としての対比が必要だったと思うので、このあたりは前川さんの意図もあるでしょう。

個人的には映画版以上に面白いと感じました。映画は緊迫感の要素を、概念の喪失から侵略の危険に変化していきますが、そのプロセスがうまくまとまっている感じがしないので。舞台版のほうがシンプル。もちろんフォーマットが違う以上当たり前ですが、この作品においては、そういうシンプルさのほうが伝えたいことが明確でよいなと感じた二時間でした。