Electric Sheep

徒然なる日々の記録

映画「散歩する侵略者」所感

映画『散歩する侵略者』公式サイト

昨日のブログにも少し入れましたが、9月9日から「ダンケルク」「散歩する侵略者」「三度目の殺人」と面白そうな映画が同時公開。どれを先に見るか迷いましたが、秋に舞台を見に行くこともあって、早め確認したいなと思い「散歩する侵略者」を見に行きました。

監督は「cure」などの黒沢清監督。「ドレミファ娘の血は騒ぐ」とか、結構好きだった。あの映画は洞口依子さんの存在感の強さもあるか。だんだんスリラー作品的な要素を増やしつつの中の、今回の「散歩する侵略者」です。原作はイキウメの前川知大さん。映画化にあたっては、原案としての関りで脚本は、黒沢清監督と田中幸子さん。何度か一緒に仕事をされていますね、「リアル~完全なる首長竜の日~」などいくつか。前川さんがどこまで関わったのか?はわかりませんが、舞台と映画ではフォーマットも演出も違うので、それはそれでよいとは思います。あとはこういう素材をどう活かすのか?だと思うので。

主演は長澤まさみさん、長谷川博己さん、松田龍平さんなどなど、、、豪華なキャストです。前川さんの作品は先日、舞台「プレイヤー」を見て、興味深かったので、舞台版の「散歩する侵略者」もすぐにチケットを取りました。黒沢監督の描く怖さと、前川さんが描く怖さの融合がどうなるのか?が非常に楽しみだったのも先に選んだ理由の一つです。

ここからネタバレ込みで書きます。これから映画を見に行く方はご注意ください。

まず、ストーリーは公式サイトにもありますが、

『数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海。夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていく。一体何をしているのか…?
 その頃、町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発する。ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。
やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。
「地球を侵略しに来た」真治から衝撃の告白を受ける鳴海。当たり前の日常は、ある日突然終わりを告げる。(公式サイトより転載)』

という筋立てです。

映画は最初に立花あきらの家族が惨殺される状況から始まります。ここはちょっといきなりの日常風景から、惨劇を描く状況になるので、恐怖感にぐっとつかまれた感じになります。特に血みどろの女子高生が自分についた血をなめるしぐさあたりは、ありきたりではあっても無表情さと血をなめる行動のギャップがよい演出でした。

そのあと帰ってきた真治の行動に戸惑いつつ、少しずつ生活をしていきながら、破綻した夫婦生活がゆっくりと修復されることが実感されていく加瀬夫妻の様子と、侵略のための準備を続ける天野・立花の二人と行動を共にするジャーナリスト桜井の行動が二本立てで進行していきます。

序盤の概念を奪い歩く宇宙人は、それなりに危うさが伝わってよかったです。鳴海の妹が「家族」という概念を奪われて、姉に対して他者のようにというか気持ち悪く扱う感じは、まあわかりやすさも含めて、あんな感じなのかなと。

そのままじわじわ行けば良いのですが、このあと、自衛隊の登場やらなんやらで雲行きが怪しくなります。で、このあたりから自分の中では期待していた恐怖感が薄れてしまいます。

まず、この作品の中での怖さは「概念の喪失」なのか単に「宇宙人の侵略」なのかか登場人物の中に見えてこない。厚生労働省の役人・品川(笹野高史)たちは、侵略をどう食い止めるか?がポイントみたいですが。宇宙人たちは「概念」を奪うことによって、侵略先の地球人の概略というか全体像を生み出そうとしている。映画の途中に「他の国はどういう状況か知らない」っていうセリフ(確か品川だったかな?)があるが、概念自体が世界中で違うわけだから(例えば「海」という概念すら生活する場所で変わるはず)、あまりにもそれでは杜撰。さらにこの三人は並列化を図る(タチコマみたいだ)ことで概念の共有化を図っているけど、中盤に出てくる病院でのシーンはあまりにも概念奪われた人が多すぎて、、、、パニック映像にしたいという状況だけの場面が違和感だった。

つまり途中からパニック映画風の煽り(自衛隊の出動やら、病院でのパニック状態やら)が「概念の喪失」という本質的な怖さを薄めてしまい、結果どっちも怖さがないという状況になります。

あとは、桜井の行動にあまり説得力がない。最終的に彼は宇宙人のサンプルになることを希望し、さらに肉体が滅んでいく天野の代わりに宇宙人に支配されることで、侵略の手助けをして死んでいきます。まず、なぜそうすることを選んだのか?映像上の感じとしては、一つはGPSの件で裏切られたこと(あれもカッコ悪い機種でしたw)、スーパーの駐車場での叫びを誰も反応しなかったことあたりでしょうが、まあ理由としては薄すぎます。警官たちをバンバン殺していく立花に対して「なんてことをしている」と憤る桜井が、自分が生き残るためにと、こんな世界は侵略されてしまえばいいという発想に転換する動機としてはあまりにも薄っぺらで、何を考えているんだか、、、と。少なくとも映像内での様子では受け入れにくい状況です。あとは天野のが自分の別れた子供の年齢に近いっていうのもあるのかも。

加瀬夫妻もおかしなというか、もう夫婦で暮らせればいいよみたいな発想になっていますが、これはまだ人格が変わった夫(というか宇宙人)に対する鳴海の愛情の再確認と、その安定という意味でまだ理解できる。支配されることをあっさり受け入れるのか?と思いつつも、鳴海は自分の世界を守ることを選んだという意味で。でも逆に真治の意識が宇宙人を侵食するという状況も含めて、どっちだかわからないことがアイデンティティの喪失みたいな部分があることが怖さなのか、、、という側面は感じることができます。

あえていえば、実際は侵略という状況に現実味がなさすぎて、ああやって叫んだ桜井であれ、加瀬であれ、実のところはあまり侵略に対するイメージがないままで考えているということもあるのかも。「ガイド」として接している間に人間と宇宙人の境目が見えないというか、実感しにくい状態でしたし。それは単に外見上の様子だけでなく、コミュニティとしてガイドと宇宙人という生活を進めていく中で、違いを実感できない部分が支配を受け入れる下地になっていたんだと思います。

映画なのでスケールを大きくした感はありますが、本当はこれ、一つの町から乗っ取られるという話でいいわけですよね。そのほうが三人でやってきた侵略という点にも説得力が増えるし。風呂敷広げたけど回収できていない、主役の片割れの行動原理に説得力が乏しいなどなど、、、、見ている間にだんだんと恐怖感が薄れてしまうので、単なる結末がどうなるかなー、、、みたいな感じだけになってしまったのが残念。

最終的に侵略が止まるは、、、まあ並列化したことで、真治が鳴海から奪った「愛」の概念がその影響にあるんだと思います。それはそれでいいです。だとしたら、もっと概念が奪われることに対する恐怖を全面的に押し出すことと、概念が宇宙人に与えた影響の大きさをもっと引き出さないと。「概念」只のデータなのか、それ以上の人格への影響なのか、曖昧になっているのが残念。一種のパニック映画のウイルスのような扱いとは違うわけですし。愛という概念は「パンドラの箱」みたいなものだったのでしょうか、、、最後に希望が残るという意味でも。概念の復活は、むしろそれが普通だよと。奪われたとしても新しい概念はいくらでも構築できるはず。生活の中で生み出すことはできるから。だから愛という概念を失った鳴海に関する状況は、変化させられるはずだが、復活の気配がないのはどうなのかな?と。

序盤にあるあやふやな感じ、特に天野の見せる危うさは前半での緊張感を高めるのに非常に効果的でした。立花と合流してからがぴんと来ないことが多く、「何が奪われるのか」「支配されることへの恐怖」があまりもボヤっとして、残念だったと思います。

CGいうか特殊効果の点は、まあひどいけどそこは諦めた感。車にひかれた立花の人形感とか、車のフロントガラスの風景、最後の宇宙人の侵略、、、最後の侵略は「アベンジャーズ」の映像のマネかって感じですが。もっとわかりにくくして良いと思うのですが、今回は基本一般向けに作ったので、そういうわかりにくさを減らしているんだろうと。でもそこが成功しているかというと、恐怖感含めた緊張を結果、弱めてしまっているので、そういう意味で中盤以降はすごく残念だと言う気持ちが強いです。最後の爆撃もよくわからなくて、あれ電波が出ていることは確認できていないのかとか、結局実働部隊があれしかいないって、全く危機感がないじゃんとか、、、まあその辺りはご都合主義にまとめてしまった気はしますが。

長澤まさみさんは、やはりきれいスタイルの良さも目立ちます。夫婦間での危うさが出るイラつきの部分とかは、良かったと思います。彼女は「モテキ」あたりから吹っ切れた感じが好きです。松田龍平さんはあの危ういバランスの宇宙人が出ていたと思います。この夫婦はそういう点ではよいキャスティングだったと思います。長谷川博己さんは、演技はよいのにこれは脚本が悪いと思います。桜井の行動原理があやふやすぎました。個人的にはもっと煽られる感じが欲しかった。先日の「プレイヤー」もそうですが、恐怖感の浸透という点ではこの脚本が問題かと。どっちに寄った作りにしたいのかが、わかりにくい部分が非常に残念だという感想です。