Electric Sheep

徒然なる日々の記録

雑記だが、懐古厨みたいで申し訳ない

最近、時間がたつと昔見たお芝居の印象などは、だんだん薄れることが多くなってきた。もちろん、新しい作品を見ることで、上書きされていくんだけど、なんとなく思い越しておくと、同じ演出家でもどう変化したのか?がわかるかなと思って、以前見に行った芝居のパンフレットを見たりして、思い起こそうとしている。

特に芝居を見始めたころは、予備知識も少なく、学生時代の友人に詳しい人がいていろいろと教わったり、「演劇ぶっく」を読んだりとか。

そんな中で、自分の中での評価が高い作品をいくつかご紹介。今、映像で見ようと思ったら、ないものもあるので、再演アピールを自分もしていきたいところです。

  1. 「透明人間の蒸気(ゆげ)」
  2. 「出口なし!」
  3. 朝日のような夕日をつれて’91」

まず上がるのはこの三作品。

「透明人間の蒸気」は野田秀樹さんの作品。初演は1991年です。野田秀樹さんに関しては、「赤鬼」「キル」「逆鱗」「贋作・桜の森の満開の下」とほかにもあるのですが、個人的には初演の段田安則さん、円城寺あやさんのシアターコクーンでの演技が印象に残ります。夢の遊眠社という劇団の終焉が近づいていた時期で、この時期は看板役者の上杉祥三さんが出演していなくて、そのポジションは羽場裕一さんが演じていました。

作品自体は二十世紀で消滅してしまうものを集めろとの命を受けた軍が、結婚詐欺師である主人公アキラを追いかける。そのアキラをかくまう三重苦のヘレン・ケラとサリババ先生を中心に日本という国の歩みや、神々の存在など、いくつもの話がこの物語の中に盛り込まれていきます。

Kindleなどに戯曲があるので、興味があったら、それを読んでいただくとよいかもしれません。

 

透明人間の蒸気[ゆげ]

透明人間の蒸気[ゆげ]

 

再演の時は阿部サダヲさん、宮沢りえさんで演じられましたが、 ラストが初演と違っていて、そこだけがさみしいなあと今でも思っています。最後にアキラが言うセリフによって、21世紀に残ったものかどうかが変わるのですが、、、あれは初演版に合わせてほしかったですね。

興味深いのは三重苦のヘレン・ケラは足の裏で言葉を感じるのですが、それは先日までのNODAMAPの作品「足跡姫」で今度は表現する足として使われる。野田さんの場合は、こういった手法も非常に多くて、気が付かされることが多いです。

 

「出口なし!」は三谷幸喜さんを実質、舞台では初めて見た作品だと思います。いや、あまりの面白さにそのまま帰りにプレイガイドに寄って、残り見に行ける公演を探して、急遽そのまま確保したくらい。

唐沢寿明さんが宮本信子さん演じる精神科医のいる病院に余興をするための役者として呼ばれる。その病院で助手を務める森口瑤子さん、もう一人の医者である益岡徹さんが関わって、唐沢寿明さんの過去と、宮本信子さんの本当の狙いが明かされていく、、、、

テレビ放映が昔、衛星放送でありましたが、それ以外はないかなと。DVD化もないので、見る手段はかなり限定されると思います。これは傑作です。笑いという点でもそれぞれが絶妙なバランスを保っています。登場人物四人のそれぞれの位置づけのうまさも含めて、三谷さんの作品では一番お勧めしたい。人によっては「笑の大学」の西村・近藤版を推す人が多いかもしれませんが。

三谷さんの作品の笑いとシリアスのバランスは、舞台のほうがやはりうまい。そうでなければ「新選組!」「真田丸」のようなじっくりと描き切る作品でこそ、面白さが引き立つ。舞台は振りまいた素材をその場面でうまく活かすし、長尺のドラマでは。やはりその過程もじっくりと見せる。映画は個人的には「ラジヲの時間」以外は正直あまり評価をしていない。それはやはり笑いがあまり昇華されていないというか、不完全燃焼な感じが残るからだと思う。なんでそれが面白い?っていう印象が残ることが多いので。

次に見に行く作品が「子供の事情」です。役者は言うことなしなので、どういうコメディに仕上げる(コメディなのか?)のか、今から楽しみです。

 

朝日のような夕日をつれて’91」ですが、この作品はおととしに上演された「朝日のような夕日をつれて2014」にもいろいろと書いています。

unimasa.hatenablog.jp

91年版の一番のすごさは時代感とか、鴻上さんの劇団、第三舞台が当時持っていたスピード感とかがすべて凝縮されていたこと。もちろん役者さんも素晴らしい五人で演じていますが、あらゆるタイミングで情報やら鴻上さんの描く世界の感性やら、役者さんの演技力がかみ合ったものだと思います。

 

朝日のような夕日をつれて 21世紀版

朝日のような夕日をつれて 21世紀版

 

 

実際、演技力というよりは、多少その場のノリに近い演出やアドリブのバランスなど、はまるかどうかはありますが、その部分を抜いても、自分は5人の役者がセットほぼなしで見せる世界に浸りきったことが大きいです。

とにかく考えるようになりましたね、この作品を見てからは。割と受け身というか、舞台上での状況を普通に見て楽しむという感じから、舞台上で発信される情報を目いっぱい受け止めて考えるという楽しみ方をするようになったと思います。で、それでよかったと今でも思います。舞台上でのせりふ、動き、音、所作、すべてに意味がある。それは感情を表したり、空虚であることを実感させたり、、、「ゴドーを待ちながら」の不条理世界と、五人の登場人物が繰り広げる世界の交錯がどれほど芝居に関して、正直詳しくなかった自分に影響を与えたか(笑)

 

正直、もちろんこの三つ以外にもいろいろと語りたい作品はありまして、つかこうへいさんの一連の作品、ケラさんのナイロン100℃関連なども語れないくらい出てきます。蜷川幸雄さんもそうだし、、、ただ、今の自分が舞台をちょっと見るようになって、いろいろと感想をこういう場で書くようになったりするときに、この三つの作品は舞台の楽しみ方や、情報の受け止め方、役者・演出って何に目を向けるべきかとか、教えてくれるきっかけになった作品だと思います。特に野田さんと鴻上さんは最初はせりふからの情報量が多すぎて、消化できない。じゃあ、どうすればいいか、、勉強するなんですよね(笑)不条理劇とか、その作品の状況を楽しめなければ、意味もないし。

最近の芝居は、例えば乃木坂メンの出演する芝居を見たりすると、確かに推しが出ていて、かわいいとか嬉しいとかあるんだけど、まあほぼ考えないというか、情報量が圧倒的に少ないので、物足らないこともある。だから「足跡姫」とかもう楽しくてしょうがない。こちらが能動的に作品に入り込んでいく楽しさは、なかなかに代えがたいです。

今度、シアターコクーンに見に行く「プレイヤー」などは、どれだけ楽しめるのか、今から期待値が高まります。

 

ほう、この文章で2800文字くらいですか、、、、まだまだですねwww