Electric Sheep

徒然なる日々の記録

「それでも、生きてゆく」最終回

第一回のあの濃厚な、ダークな展開から考えると、最終回がこういう形で終わるとは、全く予想もしていなかった。坂元裕二はすごい脚本家になったなあと改めて思います。
自分の思い描いていた形とちょっと違って、「ハッピーエンドの中のバッドエンド」という印象が強く残りました。「被害者家族と加害者家族の相互の受け入れ」と「そこからはじまった新しい生活」というハッピーエンドと、「それでも寄り添うことができなかった二人」というバッドエンド。視聴者の大多数がどういう結末を望んでみていたのかはわかりませんが、個人的には納得はできるラストだったと思います。
先週ラストの洋貴の行動(文哉に手を差し出す)は、文哉を受け止めるということと同時に、双葉とは歩いていけないという結果にもなったかなと、今になって思います。洋貴の中にはずっと「異物」としての文哉がいて、それを消化できずに吐きだしたい(つまり文哉を殺したい)という受け止め方しかなかった。でも双葉との交流を通じて、その異物が消化されて自分の中に入り込んだ。おいしくないけど、そして自分の栄養でもないのかもしれないけど、それは自分の体の中に入った。それはきっと響子とかも同じなんだと思う。被害者家族はそれで生きてゆくことができる。許すわけではないけど、きちんと受け止めることができたので。
でも双葉たちは、ちょっと違っていて「加害者家族」というものは最初から受け止めている。ただ、その状況を隠そうとして生きてきた。逆に双葉たちはこの一連の動きを通じて、「表に出てきて」「できることを考える」という人生があることを、きちんと受け止めた。洋貴と双葉はそれぞれ「これからの生き方」を自分なりに見つけ出すことはできたけど、「被害者家族」という状況が消化されたことと、「加害者家族」という状況が前提で暮らすことには大きな隔たりがあった。それがドラマ前半15分くらいでの、船宿での二人の会話の意味なんだと考えています。
この最終回はその双葉の選択と、洋貴の受け入れをじっくりとしっかりと描いたなあと思いながら、見ていました。ラストの交換されない手紙はすごく印象深いです。あれが二人のつながりなんだなと。交わすことない、伝えることも決してない、でも伝えたい日常、、、、あの手紙を木の枝に結びつけるシーンはここ最近のドラマにない、割と好みな演出でした。富士急ハイランドの二人のデートの後の河原での、せりふのやり取りもものすごく二人の役者の個性が十分に発揮されたせりふ回しで、いいなあと思いながら見ていましたが、手紙を木の枝に結びつけるという行為がすごくなんというか、、、寄り添うことはないけど、でも二人はしっかりと相手と同じ方向を向いて生きてゆくという気持ちが伝わるかなと。
文哉に関しては、「心の闇」がもっともっと深くてもよかったのかな、、、精神的トラウマというか衝撃行動のきっかけとなる母親との断絶という部分が、文哉をどう壊したのか、、、ドラマの中で何回か語られてはきましたが、誰もきちんと正確に理解はしていないんですよね、、、受け止めてはいるけど。しかしその壊れ方を風間俊介さんは本当にうまく演じていたと思います。
大竹しのぶさんの演技もそうですが、重い題材をしっかりとした役者さんで、しっかりと作ったドラマだったことは確かです。こういう作品が減ってきているのも確かだし、毎回だと疲れるけど、こういう「作り手がきちんと信念を持って作る作品」にまた出会いたいものです。
全体としてみると、ちょっときれいにまとめすぎとか、せっかくの倉科さんが無駄使いとか、心神喪失に関する扱いが本当に無いのか!というツッコミどころがそれなりにはありますが、でも十分に完成度がある作品だったとおもいます。
しかし、河原のシーンの「こうやって抱きしめてもらうのを、ずっと望んでいました」っていうのは、満島さんの言い方と相まって、すごくかわいい場面でしたね。満島さんはああいう場面での無邪気さとか、ちょっと遠慮してひいちゃうみたいな部分でうまい距離感の取り方をする女優さんですね。あれで主婦だもんなw
このクールは微妙だな、、、と思っていましたが、見続けてよかったと思える作品がきちんとあって、ドラマ好きとしてはうれしい限りです。