雨の中を泳ぐ日々

思いつくがままの気分の記録

雑記 しょうもないこと

先日、Twitterでケラさんのこのツイが非常に気になった。

 

このツイに反応して、自分も発信したが、この手の話は結構前から自分のブログでも書いていて、結局どの立ち位置とかスタンスでいるかで決まってしまい、人それぞれでしょっていう話で終わるんだけど。

この話の少し前に乃木坂46の衛藤さんがミュージカルに出演するにあたってのツイで

このツイにも、ファンとは良いところを見つけて、発信するものという反論が来ました。アイドル関連の話だと、特に経験が浅い演劇などの感想や批評めいた話が出ると、こういった反応を貰うことが多いです。今までも乃木坂46のメンバーが出演する芝居などを見に行った時は、こういう論調が非常に強く、それは今も同じだと思います。

そう、何度も言ってきているのですがね、、、スタンスの違いでもう済ませておきたいから、逆にアイドル擁護・応援寄りの人は批評や感想を見なければいいと思うのです。ひたすら自身が褒めちぎって、それをSNSにひたすら流せばよい。TLで下手という内容のツイを発信している人(主に私ですが)を気持ちよくミュートすると、自身にとって快適なTLになると思います。

それをあとでディスって文句を言うのも自由ですが、そんなアイドル寄りの発信をしない人間のツイなんてつまらないと思いますよ。

誤解の無いようにきちんと付け足しておくと、このフォロワーの方は自分の批判はしていません。スタンスは違います。そこは自分も理解しています。

問題はこのあとに来たブロックした方です。腹がたったのでリプ含めてすべて消しました。

自分はアイドルからスタートして演劇を見ているのではなく、演劇を見ていたら、そこにちょうど自分が応援している若月佑美さんが女優として舞台に立つというスタートです。だから、演劇としての完成度や作品の質がアイドルが演じることで下がってしまうことを応援というスタンスで「是」とする感覚があまりありません。かわいいから許すとか、アイドル界隈向けの芝居だから、内輪向けだからっていう話が誰得なのか?が理解しがたい。

でもこれはアイドル寄りの方々からは逆に理解されない話で、足を引っ張るなとかいう反応がくるわけですが、、、いや言いたいことはわかるがファンはみんな褒めるんでしょうから。つまり心地よくさせてくれる人はファンという位置でいっぱいいるので、批判も含んだ感想があっても、、、、ねえ(笑)

ケラさんのツイはちょうどテレビで人気の出た役者さん(この話では田中圭さん)が舞台に出るようになると、途端にチケットが取れなくなり、その場合「演劇」という作品というよりは「俳優」への応援というスタンスが強くなっていて、ほんとに見たい人が入りにくい状況が今の演劇ということへの発信でした。これも良し悪しもちろんあるし、ケラさんはその状況に対する反応が上記のような言葉になっています。

感想も批評もいろいろなスタンスがあるといいながらも、同調圧力だったり批判的な動きを排除する方向が出るのは、その反応が嫌いでいいのですが、お互いに放置できないものかな?自分はダメだなと思った舞台があっても、ほかの人が大絶賛とかよくあります。自分の見る目がないと思うだけです。良いところを見つけられない自分の見識の低さなので。数を見たって、できないことはあるわけだし。しょうもないことなんですよね、、、、そしてこれってアイドル界隈に限らないでしょうね。自分はこれからも芝居はいけるときがあれば行くし、そこにアイドルが出ていても楽しそうな作品なら行きます。もちろんその人がいることで、もちろんその人以外でも完成度を下げる状況があれば指摘はすると思います。プロが言うとかどうかではなく、観客としての感想です。

みんな楽しい作品を見たいし、お金を払ってみるんだから満足したいんですから。

という戯言を打ちつつも、今日はこのあと「銀幕の果てに」を見に行きます。先日ケラさんの「LIFE LIFE LIFE」という素晴らしい作品を見た後なので、どうなることでしょう、、、期待と不安が入り混じっています。

つかこうへい復活祭VOL.1「熱海殺人事件 LAST GENERATION46」の感想


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いろいろと話題の多いこの公演、一番は題名に数字も入っていますが、欅坂46を卒業した今泉佑唯さんの初舞台、そしてつかこうへいさんの復活祭ということで続いて「銀幕の果てに」も上演されます。つかさんに関しては、それこそ1000円シアターと銘打ったときの公演からずっと見てきたもので、亡くなったときはそれはもうショックでしたが。それでも岡村俊一さんがたびたび演出をされながら、この作品を含めてつかさんの作品を公演し続けています。

今回は今泉さんがどういう演技をするか?という期待や興味、作品自体への愛着も高いので、楽しみにしていました。初回が日程の関係上、いきなりエキサイト公演になってしまい、そのあと通常の公演を見ることができました。東京に来る前に大阪で先に公演もしていたので、完成度というかある程度の仕上がりみたいなものは期待していた部分もあります。また木村伝兵衛の味方さん、熊田刑事のノンスタイル石田さんはつかさんの舞台経験者でもあるので、そのあたりも好材料という思いもありました。

そして、、、、感想です。いろいろと書いています。お気を付けください。

あたらめて、思います。ラストはやはり以前見た終わり方がよかった。今回、岡村さんは初期に描かれた戯曲にほぼ準じた終わり方にしています。今回は大山金太郎の殺意が、愛子の地元愛や変質した彼女への失望、自分の過剰な思いへの拒絶から殺意が生まれ殺しています。とくに地元の相撲大会での思い出を汚されたことが大きな動機になっています。以前のつかさん演出での基本も変わってはいないのですが、このラスト場面での動きが違っていました。愛子は「こけ」といって売春宿でも客が付かない下っ端な立場にいます。そのことにもちろん卑屈さがあるわけです。熱海の海岸で金太郎の前から去ろうとするときに、以前の演出では金太郎が愛子に金を差し出して、「金を出せば何でもするんだろ!」と吐き捨てて愛子を引き留めようとし、愛子が激高してそして殺害されるという流れがありました。自分はこの演出がものすごくインパクトもあり、今でも人間性が描かれた演出だと思っています。愛しているが、自分の好きな女を引き留めるために、郷土での思い出を壊さないために、その女に金を差し出して引き留める大山金太郎の浅ましさ、人間らしさ、、、、ここがあるからこそ、あの殺害に屈折した愛情がより引き立っていたと思います。あの演出を見た後では、今回の初期のような終わり方は正直「弱い」という思いにどうしても向かってしまう。悪いとは言いませんが、愛子への屈折した思いが伝わりにくく、愛情と殺意のバランスがどうにも弱く感じてしまいます。そこからの、裁判での「海が見たい」というセリフも、以前は「木村伝兵衛刑事部長にお世話になりました」で木村伝兵衛の傲慢さとユニークさが出ていましたが。基本、最終的には木村伝兵衛は人情味あふれるいい人という側面はあるのですが、その部分が変に強調されすぎるとバランスが悪く見えてしまいます。途中の富山にいる熊田の元恋人の件といい、今回の演出ではちょっとよく見せようとする部分が早い段階で強く出ていて、木村伝兵衛のアクの強さが薄れた感じになったのも微妙なところかもしれません。逆に熊田が熱海での殺害の再現のときに愛子がコケであることを目撃者である山田が揶揄するシーン。あそこもセーブ掛けずにガンガン馬鹿にしていく方が、人間臭いというかそういう部分が出るんですだから味方さんがああいう感じでがーっと行く感じがあって良かったなとか。

しかしつかさんの戯曲のテイストを活かそうとした部分は、以前の「いのうえひでのり」版よりは強く出ていたかなと思います。演出家によっていろいろ変わっていくのが演劇なので、その点を考えても、やはりつかさんの見せたい「人のもつ業」みたいな部分がより強く出てほしいという願望が出てしまいます。

 

このあたりのバランスと、もう一つは役者さんです。

まずは注目の今泉佑唯さん、はっきり言ってまだ厳しかったです。稽古もそうですが、舞台という場での所作というか、いろいろな部分含めて、まだ足らない。セリフの時にフラフラしてしまう、せりふのない立ち姿も同様、せりふ回しは抑揚が弱く、覚えたような言い回しそのまま。もちろん初めてだからしょうがないのですが、稽古でこういう初歩的な指導をどこまでされたのか?とは思ってしまいます。そんなのわかっていたことといえばそれまでですが、だとしたらあまりにもかわいそうな扱いだし、すでにアイドルグループを卒業して活動している方に対して失礼な気もします。だからこそ、今回の彼女の演技には残念であるという言葉をあげておきます。背が低くて厚底の靴を履く。仕方ないと思います。でもポーズはしっかり止めて決めなくてはいけない。手足は指先までぐっと伸ばして、大きな動きをダンス同様に見せないといけない。そしてセリフには感情がこもっているような演技を見せないといけない。今泉佑唯さんにはいい勉強になったでしょう。でもその勉強にお金を払って見ている今泉佑唯さんのファン以外のお客さんも多数いる事実は忘れてはいけない。もうこれはアイドルの公演ではない。

木村伝兵衛刑事部長役の味方良介さん。最近はつか作品に多く出ていると思います。このあとの「銀幕の果てに」もNON STYLE石田さんと同様に出演されます。なんというかつかさん風の演出になれているというか、雰囲気を掴んでいると思うので、台詞回しなどは、らしさを感じさせる部分が多かったと思います。

ただいくつか気になる点もあり、例えば台詞回しでさ行た行が早口だとかなり聞き取りにくい。仕方ないとは思いますが相当きつかった。声をぐっとあげるところでは聞こえますが、一気にまくしたてる場面では、聞きにくく難しいなあと。あとは味方さんというよりは演出の部分。もう少し木村伝兵衛の良い人っぽい部分って、屈折というか、例えば初期の戯曲にあったように無事に死刑台にいく大山金太郎の刑執行のときに晴れ舞台といって一族縁者を呼んでお祝いみたいな、そういうキャラを見せる良さだったと思うのですが。今回は中盤から良い人ですという感じがかなり早く出ていて、その演出意図の変化が難しいなあと。嫌味な人とか意地が悪いけど本当は、、、みたいな部分はあとでぐっと見せるから面白さが増すと思うけど。このあたりは筋書きを知ってしまっているからか。

熊田役の石田明さんは、ちょっとデフォルメしすぎていて、難しいですね。以前の坂本龍馬の方が自然という感じが良かったと思うのですが。今回は表情の作り方、キャラクターの作り方とか、今ひとつハマった感じはなくて。上手さは感じます。演劇は石田さんはあっている。動きも大きくて、関西弁でしゃべるときの心情のこもった感じはさすが。だからこそ、やっぱり演出上の作り方なのかなあ。

犯人役の佐藤友祐さんは、かわいらしいところがありますが、後半の愛子を殺す前後での方言と殺害するシーンの迫力は見事。あそこが軽いと愛子を殺す動機が意味を持たなくなって、がっかりな感じになるのですが。あえていうと若すぎて、田舎から出てきた若造という部分の哀愁というか寂しさみたいなものが見えにくい。以前、酒井敏也さんが犯人だったときは気弱さとあさましさみたいなものが上手くハマっていました。

感想を打っていて思うのですが、だめだなと思いつつどこかで、今まで見続けた熱海殺人事件との比較が出てしまいます。今泉佑唯さんのファンが初めてこの作品を見た時にどうおもったか?は興味深いです。途中、舞台の演出で今泉さんの胸元に味方さんの手が伸びた時に、「おおー」っていう怒り気味の声が客席から出てるのは、何とも言えないところでしたが(笑)

そこがアイドルじゃない理由なんだよと。

岡村俊一さんの演出ではこれからも見ることがあればいろいろな感想を持つのかもしれません。戯曲は同じでもつかこうへいではなく、岡村俊一さん。薫陶は受けたとしても、同じバックボーンではないから、模倣はあってもつかさんが描いた「業」は岡村さんの世界の中で作るもの。それは例えば野田さんやKERAさんなども同じ話で、その人の作る演劇世界は唯一無二であるし、それが役者によって日々変わり、そういうライブ感があるからこその演劇の面白さだと。

だからこそ、今回の「熱海殺人事件」の完成度というか、いろいろな意味での自分の満足度の低さに思ってしまうことが多く出てしまいます。もちろん受け止める自分の側の至らなさもあるでしょう。いくらそこそこ演劇を見ているからといっても、その程度でしかない。ただ「熱海殺人事件」がやはり大山金太郎という一人の殺人者を、一人前の犯人にするという設定において、なぜ殺さなければならなかったのか?という部分に迫るときに、そこまで積み上げてくる二時間弱の舞台上の世界はやっぱり完成度がもっと高くあってほしかった。終盤で水野婦警が愛子の代わりに演じるっていう場面で、「ごめんね、うまくできなくて」といい、その時に大山が気持ちが今一つみたいな返しが出てきます。これも昔の戯曲に似たようなシーンがあり、ああーと思ったのですが、、、、まさにそこでその通り13階段登らせるまでのプロセスで、大山が愛子の首を絞めるその瞬間に向けて、この芝居の軸は動いているわけです。そこに向けてどうやって作っていくか?が今回はやはり迫ってくるものが自分には弱かったというのが、感想の中心にあります。

場面としてアドリブで笑わしてくれたり、「二人の愛ランド」を歌う今泉佑唯さんは非常に可愛いし、オペラのシーンとか楽しかったです。ゴムパッチンは笑えるけど長い。そして今泉さんにぶつけた味方さん、さすが役者です。

そういう部分とは別に岡村さんには、もっと泥臭く汚い、でも愛すべき人がいる作品を演出してほしいとは思います。

雑記 4月16日


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本日、半休の中での外での昼食です。

久々にだらっとファミレスに入って、パソコンを立ち上げました。最近はファミレスとか行く機会もそうそうないので、この騒がしさに不思議な感覚になります。

スタバにもよく行きますが、やっぱりカフェは一人、ファミレスは複数というイメージがあります。実際、声の多さはカフェの比ではありません。だったら、カフェに行けよとかいう話でもなく、ファミレスでも音楽を聴いてしまえばいいので、どっちも都会の風景だなあ、、、という感想です。

本当に落ち着く場所は、間違いなく自宅のベッドなので、どこにいても人のいる空気を感じることには違いはありません。その空気の感じ方に余裕があるのかないのかの違いだなと思っています。

なんか、Twitterに上げそうな文章ですね(笑)

 

仕事は最近はいろいろなことに手を出すというか、少し積極性を出してとりくむ努力をしています。なんというか本当にダメな会社なので、非常にこまったものなのですが、少なくとも大きな動きに関しては、どうせ何を言っても無駄なので自己研鑽に励むほうが、よほど建設的というか自分の価値が上がるというイメージです。せっかく勉強をさせてもらえるチャンスがあるなら利用しない手はない。そう思って忙しさは増えていますが、なんとか進めている毎日です。

変に前向きとかは、正直嫌いです。

だからこのことも、よくSNSやらで出てくる前向きさみたいな偽善っぽい感じではないです。あのポジティブ発信って、誰向けのモノだよってよく思います。SNSでの反応も、ネガティブよりもポジティブさが、、みたいな発信をする人が多いですが、どこかのセミナーみたいです(笑)

 

そういえば全然話は違うのですが、元乃木坂46のメンバーの衛藤美彩さんが西武ライオンズの源田選手との交際を発表して話題を呼んでいます。

卒業後、すぐの交際と発覚、そしてファンの反応が賛否両論で、インスタでのコメントと一部アカウントへのブロックと、話題には事欠きません。

まず恋愛は勝手にすればいいと思うので、そのこと自体にどうこう言っても意味がない。一応オフィシャルには卒業後に交際を始めたとある以上、その部分に文句をつける意味もない。実際がどうなのか?を教える必要もない。つまり衛藤美彩サイドは一応は筋を通してはいます。もちろん卒業直後のタイミングで交際を発表したら、どういう影響が出るかを考えていないはずがない。それでもあえて発信したということは、衛藤美彩という女性の中での、アイドルとしての衛藤美彩時代の守るべきものがなくなったことで、優先順位が大きく変わったに過ぎない。つまり「一人の女性」としての価値を優先したということ。アイドル時代の縛りを維持する必要がない以上、当然の結果だったと思います。

ファンサイドの反撥を含めて発表した以上、まあこのまま幸せに交際を続けてほしいものです。

ファン側の反応は二極化していますが、、、、、、自分はTwitterでも書きましたが、衛藤さんの場合は最初に選抜に選ばれないなどの状況から、フロントに立つようになったのは、握手会における対応からのファン増加がきっかけかと思います。そういう点では熱心に握手会に通って券を買ったファンは「自分が支えた」という気持ちが非常に強いと思います。それだけに「裏切られた」というコメントが多く出てくるわけですが。支えたのは「意志」であって、握手などを含めた対価は得ています。無償の奉仕ではないし、それは一つのビジネスモデルに過ぎない。もちろん距離感とか馴染みとか、いろいろな個人差はあるにせよ、ファンはファンであり「特別」ではない。そのことに対する理解が接触系のアイドルに対してわかっていない人が多いんだなと。「雑音」という言葉に反応して反論し、ブロックされた人、、、そりゃあされるよね、一所懸命応援してきてその結果はかわいそうな気はするが、応援するってのはあるがままを受け止めることでもある。それができないなら、生身の人間を応援していられないでしょ、二次元へ。

そういう理不尽さというか、アイドルを応援するということは、そういうリスク込みということです。自分はモーニング娘。飯田圭織さんのバスツアーの話が一番地獄だと思いますけど。自分も若月佑美さんを応援していますが、例えば作品への期待とかそういう部分での楽しさはありますが、彼氏とか正直「そうですか、おめでとうございます」という感じしかないです。そもそもあのプリクラ見てますし。そういう話がなかったとしても、アイドルって「虚構」である大前提をファンは持つべきだと思っています。ファンとアイドルの関係性も実際は一方通行なんです。双方向に思える握手とかも、実際は対価であり関係性の構築とはまた別もの。アイドルは応援への感謝の念はもちろんあるでしょう、熱心に来てくれるファンへの思い入れもあるでしょう。以前、ある地下アイドルが熱心に応援してくれたファンが急死したときのエピソードがありましたが、ああいう話が例外です。乃木坂46なんてこれだけ大きくなったメジャーアイドルが、そんな特別な対応したらしゃれにもならない。でも、その関りにおいてファンはいろいろな自覚をもって臨むべきなのに、いざとなるとできなくなっています。笑顔はその瞬間、確かに本物ですが握手会での時間が過ぎれば、それはもう過ぎ去った時間。

こいつわかっていないなとか、冷めているなとかあるでしょうけど、人との関係性っての、特にビジネスとしての接触アイドルに関しては、その前提がないと全体に悲しい想いをするのは、当人です。感謝されることで距離は一切埋まらないし関係性も変わらないということは理解するべきことだと改めて思います。

 

さて、そろそろ移動する時間です。

別件を済ませて、夕方には「熱海殺人事件」を見に行きます。二回目ですが前回はエキサイト公演といって、一部キャストなどを途中で変えたりして、ややおふざけ感のある公演だったので、きちっとした形は今回が最初。正直、前回を見る限りはかなり厳しい作品なので、困ったものなのですが。

感想は改めて。

そういえば、乃木坂46の新しいアルバムのが到着しました。

これが購入の最後かも、、、シングルもまだ申し込んでいないんですよね。思案中です。

ベッド&メイキングス「こそぎ落としの明け暮れ」の感想


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ここ最近で最も楽しかった作品と言い切っても良い気がします。

3月19日のソワレを観て、どうしても我慢できずに仕事の都合をつけて、3月22日のマチネをもう一度見に行きました。アフタートークがあったことも大きかったのですが、これだけのテンションになったのは三谷幸喜さんの「出口なし」を見て以来です。

福原充則さんの脚本が良かったし、出演された方々も本当に良かった。とにかく「見えないものをどう信じるか?」を主に3つの話を軸に進めていきます。

感想をまとめていきますが、ネタバレありなのでこれから見る方は、お気をつけください。

話は主軸が3つ、一つは真理子と和子という姉妹の話、二つ目は真理子の夫・昭一と「彼女」の話、三つ目は片桐・常滑・近藤の三人が働く害虫駆除に関して。この三つがたまに絡みながら話が進んでいきます。

まず真理子と和子ですが、和子が交通事故で入院するときに、妹の真理子が姉の昔書いた遺書を見つけることで、不安感を感じる。事故も含めて自殺だったのでは?という疑念を持つ。同時に姉のお人よしな性格を非常に気にして、いろいろと干渉しようとするが、姉はそのことに対して複雑な思いを持ったまま過ごす、、、という流れ。まず舞台冒頭の真理子のセリフの静かな入り方がよい。いきなり空気を支配する感じがあります。安藤聖さん、見事です。滑らかすぎないから、個人的には手紙を読んでいる感覚が伝わってきます。途中、姉の病室の同居者・時村さんとの掛け合いが全くかみ合っていなくて、苦手というか合わない人は論点から合わないなあ、、と感じさせます。もっともあそこは時村さんが普通に変な人ですけど。

姉の和子が退院後は気分転換に島に連れていきます。そこでも自殺願望を払しょくさせようとしますが、最終的には和子が「死なないで生きようとする自分を信じろ」ということで崖でのやり取りを経て終わります。

この姉妹の信じたいことが、妹から強く出ていて姉はそこに多少うんざりしつつも、結局は受け入れるという過程が、うまく出ていたと思います。真理子の持つ気の強さを、結局和子は受け入れているし、姉のお人好しな感じも結局真理子も許している(画廊で絵を買っているので)。安藤聖さんのぐいぐい来る感じと、町田マリーさんのため息をつきつつもしょうがないなあ、、、っていう部分は実によい組み合わせでした。個人的に一回でよいと思った観劇を急遽二回にしたは、ラストの二人の崖のシーンが大きい。あそこは崖の上でケンケンをしながら和子が「自分は自殺しようとせずに、落ちないことを信じろ」と真理子に言うわけですが、ただの舞台上のやり取りですけど、観客である自分が本当に力が入る感覚を覚えました。ないはずの崖が感じられて、信じたいという気持ちを持たせるだけの芝居になっていた。それだけでもう一回見るには十分な理由でした。それくらいこの二人のやり取りは見事だったと思います。

結局信じたいことは何か?という部分が単に自殺しない云々ではなく、姉の言葉そのものということになっていて、舞台冒頭は真理子がぐいぐい来ていた関係性が、最後は姉が信じさせた関係に変化しているところもうまい。姉はこれからもお人好しな部分をみせて、真理子はイラっとはするが、受け入れるんだろうなあ、、、という様子が想像できます。

 

二つ目はその真理子の夫・昭一と「彼女」の話。簡単に言うと昭一は結婚していますが、理想の女性を追い求めている。その相手は有形無形の人格と呼べそうなものであり、普段は女性の中に入ることが多いが、後半は歌に入り込みます。物語では妻の姉である和子が入院する病院の看護婦・芒恵に入り込んでいて二人は、愛人関係にあります。冒頭に入る熱いキス、いや笑いました。しかし芒恵からその「彼女」がいなくなったことから、二人は別れることになり、そこからドタバタが進みます。ここはもう野口かおるさんの独壇場、すごい。あれだけの芝居をさらっとやることができる度胸。女優は違うと実感。そのあとに「彼女」は病院の売店のスタッフ・勝呂に入り込み、昭一はすぐに彼女を見つける。最初自覚がない勝呂はだんだん「彼女」の存在を意識しだして、あとは一気に昭一との恋愛関係に発展します。それをみて芒恵は嫉妬に狂うわけですが(笑)

勝呂役の佐久間麻由さん、すごくよかった。「彼女」が入る前あたりからの演技で、昭一や芒恵を見つめる眉間のしわがいい(笑)。これアンケートにも書いたのですが、おふざけでなく、あの嫌そうな表情の演技が本当に良かったのです。本人が読んで怒っていたら嫌だなあ、、、自分としては舞台のアンケートを書いて出すということ自体が、レアなので。今回の舞台では、佐久間さんは演技よかったと思います。特に昭一の二股がばれたあとに、三日後の高田馬場駅で会うあたりのやり取りはすごく切ないというか、儚げな雰囲気が出ていたので。

三日後にあう時は「彼女」は勝呂からは抜けていて、携帯電話の中にメッセージを残していました。「次に会う時の印として、『あ』と『い』の言葉をあなたに預ける」と。その時に聞こえる病院の合唱サークルの歌からは『あ』と『い』が抜けていた、、、面白いのは、そこで無形のものである歌に昭一は普通に愛情を傾けること。まあ人ではなく「概念」への愛情なので、当然といえば当然ですが。その時に昭一を演じる富岡晃一郎さんが本当に普通にしているのがおかしかった。そもそもちょっとおかしい発想の人で、おかしくないのは妻の真理子との会話くらいなんですが。この役者さんのすごさはおかしな感覚といわれそうな話を、サラッと演じていることだなあと思いながら見ていました。

このあと昭一は嫉妬に狂った芒恵に殺されそうになりますが、それは三つ目のエピソードにつながります。

 

三つめは、片桐・常滑・近藤の害虫駆除の仕事にまつわる話。ここでの話では吉本菜穂子さんが演じるこの害虫駆除の会社のリーダー片桐が「見たことがない虫を好きでいるが、見ることはいけないこと」という屈折した感情を、部下である石橋静河さん演じる常滑が、「一度見せてあげたい」というおせっかいから始まるドタバタ。途中、この会社がつぶれそうというところから、おかしな行動を繰り返していた片桐が面白くなっていきます。話の流れから片桐が和子を脅迫するくだりとか、なんというか演劇らしい発想だし、そのことが違和感なく進んでいくのは、その部分まで人物像をしっかりと観客に植え付けていった役者と脚本のうまさに尽きると。

このエピソードは結果的には、和子が入院していた病院での駆除作業の時に、駆除をしようとしていた部屋に閉じ込められていた昭一が、殺されそうになっていたり、最後は結局「会いたいけど会ってはいけない虫」への思いが昭一に「両想い」と認定されて、本編含めて終了になります。

 

三つの話が実際には時系列は並行して進んでいくので、ほんとに見て笑って楽しんでくださいということしかないのですが、この作品にある「見えないものを信じる」ということへの「信じ方」の違いっていうのが、うまく比較されていたと思います。真理子と和子は崖での行動によって、はじめて真理子は信じて和子は理解してもらえる。そうここでは和子は一貫してぶれていなくて、真理子の変化ということになります。そこがうまいところで、和子は確かに遺書も書いたし、事故の時もいろいろと思ったが「死にたい」わけではない。そこを真理子がどう信用するか?がポイントだったので。

昭一は最初から信じている、どの相手に「彼女」はいるのか、すぐに見つけることもできる。大事なのは「彼女」がいるということ自体は、最初から信じるかどうかではなく、どこにいるか?出会えるか?という部分。一番、滑稽な信じるべきものに対して、この福原さんの脚本では信じる要素が強いというのも舞台ならではと思います。

吉本の虫への愛情に関しては、「いるけど、見てはいけないもの」という思いがどう変化するか。いるかいないかを疑いつつも、駆除すればいなくなるのだから、いることは間違いない。あのいるはずの虫を感じるためには、会社がなくなったら困る。だから強盗も脅迫もする(笑)ここでも面白いことに、すでに常滑はいることを最初から信じているから、なぜ見ないのか?という疑問しか持たない。このあたりの現実的な割り切りを、吉本は簡単には受け入れることはないがラストで、変化をして「見たい」という感情を抑えないところがよかったです。

この作品、同時によいなあと思ったのは「変わるもの、変わらないもの」という部分を「信じるもの」にうまくつながて描いていたこと。例えば、和子の心理は遺書を書いた時と入院後では違うが、真理子は信じようとしない。変わらないものが自分自身であることへの自覚がない。でも、面白いなあと思ったのは、手紙の中にある「松葉色」って、色の意味合いに「生命力」というものがあって、すでにその時点で変化していて、書いているだけのものになっている。あそこで和子が片足でふらつきながら歩くシーンと真理子が手紙を読むは、もちろんラストの崖につながっているわけですが、そういう対比をさり気なく提示している脚本の上手さだなあと。

勝呂が高田馬場駅の待ち合わせの話の際に「三日後の高田馬場駅はだれも見たことがないもの」という話を持ち出します。未来は変わるものであり、不確定要素である。昭一はそこにためらいなく「ある」というけど、その意識の差がふわっと浮き出す感じがすごくよくて、演劇ってこういう場面一つで、いろいろな感情を掻き立てることができる楽しさを再発見した気分です。

自分は我慢できずに、二回見たのですが、二回目を見た時にはアフタートークがあり、福原さん、富岡さんをホストに、出演した野口さん、島田さん、佐久間さんの演劇とのきっかけみたいなトークを展開していました。野口さんの大妻中高時代の話、島田さんの裏方時代の話、佐久間さんの一輪車の話とか、なんというかこういう入り口が全く違う人たちの組み合わせが、こういう演劇世界を作る楽しさなんだろうなあ、、、と思い、同時にそういう創り上げる体験ができるうらやましさみたいなものも同時に感じました。自分はもう向こう側に行けることはないので(笑)

福原さんの話は、セリフが要所で直球でありつつも、でもどこか言葉の裏にあるものを考えさせる場面がふっと入ってくるので、見ていて「おおっ」っていう感じが多くあります。そこが見ている自分の予想というか、こういう感じに進むのかな?という感じを裏切ってくれてよいです。いろいろとみていると、例えば野田さんみたいな観念的なセリフから、世界が広がっていく演劇も楽しいし、今回みたいな直球勝負の中にふっと、混ぜられた言葉に楽しみが見えたりとか、こういうのが見ている楽しさだと改めて感じさせてくれた作品でしたし、ほんともう一回見たかったです。

 

雑記 4月8日

頑張ってベッド&メイキングスの舞台「こそぎ落としの明け暮れ」の感想をまとめているのだが、なんとなくしっくりこなくて、何度も打ち直している。

正直、ここ最近の舞台作品の中では、相当の出来栄えという高評価しかないので、ほんとは時間があればもう一回見たいし、DVDは出れば必ず買うつもり。それくらい自分には大きなインパクトになった。間違いなく自分は安藤聖さんと佐久間麻由さんの大ファンになったし、女優さんで舞台作品を追っかける可能性が出るとは思わずに、自分の単純にふっと笑ってしまう。もちろん福原充則さんの脚本作品も追っかけることになってしまった感。「こそぎ落としの明け暮れ」の何がよかったかは、いっぱいあってそれを書くのが文章力のない自分には一苦労で、それは感想がブログにアップできない原因なので、文才とまではいわないが、言語力はほんとに大事。

自分のスマートフォンにはメールがいろいろと届くがそのたびに、夏の新作芝居の申し込みだったりで、いやあ実に困る。夏は仕事が忙しくスケジュールが全く見えなくて、通常の勤務日程では対応できない。そうなると日曜日一択での申し込みなので、家庭事情考えるとそんなことばかりすることもできないので、様子見をせざるを得ない。そうすると大概チケットが買えないんだけど(´;ω;`)

フェスもあるし、こういう状況はなかなかに難しい。しかし、遊んでばかりもいられないので、これはじっと我慢でいくしかない。

今日はお休みで、このあとつかこうへいの「熱海殺人事件」を見に行く。自分に演劇の楽しさを教えてくれた作品で、夜中にJTBに並んで1000円チケットを購入したのが懐かしい。それから様々なバージョンを見てきているが、今回は元・欅坂46今泉佑唯さんが水野婦警役で出ることが話題。感想をSNSなどで探ると、なかなかに厳しい感じだが、二回見ることになっているので、その中で確認してみたいと思います。

そういえばスマートフォンをメインでOneplus6という優秀な機種にしているのですが、サブ機に久々にiOSの「iPhone X」にしてみました。なかなかに使いづらい(笑)戻るボタンがないのは大変です。ヤフオクでGalaxy Note8を購入してしばらく使っていたのですが、とにかくバッテリーが持たない。おサイフケータイが使いたくて購入したのですが、だったらiPhoneでもよいかと思ったので。どうせメインでは使わないし。日頃はLINE PAYを使っています。還元率も悪くないので。ポイントもすぐにチャージに使えますし。QRコード決済が増えすぎたので、なんだかなあ、、とおもいつつ、自分の環境で使いやすいもので充分です。

iPhoneは久々なので、しかも使い続けるかはわかりませんが、しばらく遊んでみようと思います。

虚構の劇団「ピルグリム2019」を見る


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先週、新宿のシアターサンモールヘ赴き、鴻上さん主宰の虚構の劇団の公演「ピルグリム2019」を見てきました。

第三舞台のときの記憶はほぼ抜けていました。

見ている間にいろいろなことを思い出しつつ、だんだん芝居に入り込んでいきました。ここではとりあえず見た感想をまとめておきたいと思います。

東京公演は終わっていますが、まだ他の場所の公演もあるので、感想は畳んでおきます。

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自主規制は誰を守る?

本当はひたすら産みの苦しみみたいな感覚を味わいつつ、先日観た虚構の劇団の舞台「ピルグリム2019」の感想をまとめていたのですが、、、、

このエントリーを打つ直前に、ピエール瀧さんが薬物違法所持と使用の罪で逮捕されるというニュースと、それに関わるいろいろなツイがTLに流れてきたことを受けて、ふわっと思ったことを残したくなったので。

まずピエール瀧さんの逮捕、残念以外のナニモノでもないです。Perfume Fes!で見たときの電気グルーヴとしてのパフォーマンスの楽しさもさることながら、多くの映像作品で見せる役者としての顔、演技の面白さ、狂気、かっこよさ、いろいろな部分を見せてくれる素晴らしい存在だと思います。

それだけに今回の逮捕は、そういった素晴らしい人材が表舞台から消えていくことの寂しさと、ピエール瀧さんの残してきたものが消えていく怖さをはらんんでいて、SNSでも多くの方がそのことへの懸念を表しています。

新井浩文さんの逮捕でも同様のことが起こり、ドラマ「今日から俺は!」に出演された部分は円盤化に伴いその部分を撮影し直して販売するという事態になっています。現在どの程度の作品が影響を受けているか?は範囲がわかりませんが公開直前だった映画作品のいくつかは公開延期という憂き目にあっています。

ピエール瀧さんの逮捕を受けて、公開中止延期という措置がどの程度進んでいくのか?は予想も付きませんが、この数年間でかなりの作品に出ていることを考えると、関係各位は頭の痛いところかと思います。

 

そう、、ここが一つのポイントです。

 

なぜ公開延期や中止という措置がスタートするか?

この措置を当然という人からは、よく2つの話が出てきます。一つは社会的影響への配慮、もう一つはそういった作品の公開で利益を犯罪者当人にもたらすリスクという意見です。

前者に関して対応ができないのか?これはおそらく実務的部分でいえば、匿名性の高いクレームへの対処かと推測は容易です。配慮というよりは、そういった人が出ている作品を公開するとは何事か!という直接的なものから、作品の制作に関わったスポンサー企業へのクレームも含めてです。これは会社を守るという意味で手段としてはポピュラーであると同時に、他の出演者、関係者への配慮に乏しく、鍋フタ的な対応の典型だとは思います。

確かにこの対処は、方向性がはっきりしているので、対応する側にとっては動きやすいでしょう。同時に個人的には、これ以上食べたら太るよ?じゃあしばらく絶食します、、、、という極端さを感じるのも事実です。コンテンツとしての素晴らしさは、犯罪を犯した当人の責任とは別という意見もあるし、この犯罪行為から作品の価値全体が否定されるような措置も確かに違うなとは思います。

でも、顔無き苦情が蔓延する状況が予想されて、それでもなお作品の公開に踏み切れるような環境が日本にあるのかは、疑問でしかないです。学校でカッターで鉛筆を削ったら怪我をして、管理責任を学校が問われたので、カッターを持ち込み禁止した例と同じで、本質への対処ができているわけではない。学校教育なら、正しい使い方を教えるという道がありますが、作品の場合はテロップを流すや、先程の撮り直しのような対策くらいしか出てこない。結果として、作品に罪はないが、そのことをきちんと伝え浸透させるには、クレームを上げる人たちに対してのマンパワー、時間が乏しいという現実には勝てない。

後者の利益云々は、契約の見直ししか対策はないのかも。気になるのは、犯罪行為をしたことの償いと、その作品における評価されるべき功績は別物ではないのか?という懸念。犯罪者が出ていた作品は、確かに不快感を与える可能性は否定しない。が、それはホラー映画で不快になることの差との違いが、伝わりにくいのが個人的な感想です。犯罪行為の場合、被害者への配慮も必要です。新井浩文さんの場合は、映像などで彼の顔が出たら云々という指摘も散見し、その意見には頷くところも多いです。

今回は被害者はいない。それだけに映像が出たことでの

二次的な精神的苦痛を受けるという自体は避けられる可能性は高い。もちろん皆無?と聞かれたら個人事情はなにか存在するかもしれませんが。

もし作品の公開によって利益という話が出るのであれば、面倒でも契約に関する見直し条項を作るなり、明記するなり、そういったリスク管理をしていくことがこれからは大事なんでしょう。

よく言われる作品の良さと別という点は、確かにそのとおりなんですが、結局のところ、先に述べたようにその良さを伝えて行くだけの環境があまりにも脆弱です。そして、そういうときに作品に対する敬意みたいなものが日本では弱いのでは?という印象があります。欧米などでは、こういった犯罪行為に対する対処って毅然としている印象が強く、ただし作品に対する措置はだいぶ違うような気がするのは気のせいでしょうか?

個人的には言葉の自主規制などと同様に、姿なきクレームに対する措置が続く限りは、この対応は消えないだろうと思います。誰を守るか?会社を守っている、被害者を守る、分別のつかない子どもたちを社会的影響から守る、、、、いろいろな意見はあるにせよ、実際にその作品に関わった人たちが守るべき相手は、本来そこまで大多数ではなかったはずです。しかし今は少数を守るために、大多数から隠すという手段しか選ばない。

結局のところ、クレームというものが社会の寛容性だし、自己満足な正義感だったりするのかもしれません。SNSでの叩き同様な出来事が、あらゆる場面で起こる今、作品が見られなくなるという事態がなくなればいいなあ、、、、、という願いは今の社会環境では毅然と対応するだけの諸々がなさすぎて、残念だという思いでいっぱいです。

でも、、、やはり作品には罪はないと思います。